周囲に水芭蕉と紅葉、中央に馬がデザインされています。
これを発見したのは、岐阜県を北上する東海北陸自動車道の郡上八幡ICから外れて、国道472を走ったときです。
マンホールに馬がデザインされているのを見たとき、脳裏に浮かんだのが
「ここは、馬刺しでも有名なのかな?」というのでした。
妻は
「まさか・・・」という反応しかしませんでした。
それからまもなくこの道の駅に立ち寄ったのです。
駐車したとき目に飛び込んできたのが、この大きな馬の銅像でした。
でも駐車した場所の関係で後姿だけ見ていましたので
――誰の銅像?――位にしか感じていませんでした。
「やっぱり何かが、気に掛かる」
「ちょっと見てくる」・・・と銅像の前に回ったのです。
「磨墨」と「梶原」の文字が目に入りました。
この瞬間です。
小学生の社会課の授業でクラス全体が源氏と平氏に分かれて盛り上がった時のことを思い出したのでした。
――「生食(いけづき)」を欲しいと頼朝に嘆願したが断られて、それじゃ「磨(する)墨(すみ)」を・と願いやっと叶えられたのが、この銅像になっている梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)でした。
もう一人佐々木何とか(本当は四郎高綱だがこの時は声に出てこなかった)言うのが後から「生食(いけづき)」が欲しいと訴えて、こちらは叶えられちゃった――
――これを知った梶原は、自分が惨めになった。
「なんでや・・・」
そこで佐々木と刺し違えて頼朝に仕返ししよう・と考えて待ち伏せをしたのです。
でも、いきなりでは卑怯かと思って
「どうやって貰ったのか?」と聞いたのです。
「あんたが断られたものを、くれと言っても無理だろうと思って、夜中に盗んできた」・・・と佐々木は抜けぬけと答えたのです。
これを聞いて梶原は
「そうか、なら、俺も盗めばよかった、ハ・・」ということで仲良くなっちゃった――
おおよそこんな話を妻に聞かせている間、僕は小学生時代の源平合戦の直中にいたのです。
昨夜の食事も思い出せない僕ですが、なんと60年前のクラスの情景が目の前に再現されていたのです
・・・妻の迷惑など全然考えもしないで・・・
――平家物語の・宇治川・の中で語られている、先陣争いに纏わる話に出てくる梶原の勇姿――を想像しながら、いまこの銅像の前にいるのです。
――マンホールに描かれた馬は、この「磨(する)墨(すみ)」だった――にしては、少し漫画チックに描かれているのが気になりました。
それにしても「磨(する)墨(すみ)」が、どうして明宝なのかは、授業では教えられなかった所為もあって解りません。
梶原がここの殿様だったかどうかも分かりません。
今からそれを調べるエネルギーも無いので
「ま、いいか・・・」ということにします。
興味をもたれた方は平家物語の中の「宇治川」のところをお読みください。
本当のことは解りませんが、小学生の頃の想い出を呼び戻してくれたこの一枚には感謝!!!