とりわけこの中で「沼津市」には思いが込められているので、少し長くなるけどお話致します。
それはカメラと無関係ではありません。
兎に角、自分の気持ちが解らなくなる程、怒りくるって爆発寸前でした。
その、僕の中の物語は、河津桜を見に行こうと家族で家を出て、沼津ICを出るまでは極めて順調だったところから始まったのでした。平成2年の2月22日のことです。
沼津を出ると早速、取り付け道路が工事中で、可也の渋滞に巻き込まれたのです。
(スピードが遅いと視野が広くなる)そのお蔭で早々と、マンホールの蓋を“発見しちゃった”のです。
ここから一日が少しずつ狂いはじめたのです。
歩くほどの早さだから車外に飛び出して写そうかなと思っては見るのですが、車はドンドン押されるようにして進んでしまうのです。
横にいる妻にも内緒で止まれる場所を必死で探していると、頭の中では
「止まれ、止まれ」の号令がボリュームをエスカレートするのです。
それに伴って、たぶん血圧が急上昇しているのでしょう、頬が火照るのです。前後の車が少しまばらになって、車の流れにゆとりが出来て“よし撮ろう”となると、何故か蓋は消えて見当たらないのです。
「コンチキショー」と歯を食いしばるしかありません。
しばらくすると車が再び混み合いだして、とても止まれない状況が発生するのです。
すると、不思議に蓋が現れるのです。
まさに、天邪鬼にからかわれている気分の連続なのです。
ついに行政区が変わったのか、蓋は現れなくなってしまいました。
「・・・帰りに何とかなるだろう・・・」と自分へ言い聞かせることに一生懸命で、妻が喋っても何時もの様に乗れないのです。
重い車内の空気が妻の所為でないことだけはハッキリしているのですが、僕の頭脳は壊れる寸前でした。
その爆発寸前に、新しいのが路面上に顔を出したのです。
膨張しきった気分が急速に萎えて、今度こそ撮影するぞという意気込みで頭脳は状況判断を始めました。するとまた、天邪鬼が現れるのか蓋は消えるのです。
こんな悪戯に弄ばれてどうにもならないのです。
やっと運が回ってきたと感じたのは、たぶん15キロ~16キロ程走った後でした。
路肩へ止めることが出来たときは、無言でマンホールへ一直線でした。
妻は、私が今日始めてマンホールを見つけたと思い込んでいるようでしたが、
「それでいいのだ」・・・
一寸気持ちに余裕が生まれていたのでしょうか、バカボンみたいなギャグが頭の中に湧き出したものです。
買ったばかりのペンタックスのシャッターの、初めて切れた“ガシャ”という軽い音が少し頼りなく感じたけれど、
「この前壊した奴とは違うな」と感じながらの一枚目でした。
(天城湯ヶ島町)近くに“浄蓮の滝”の看板が見えたので、伊豆の踊り子がデザインされていることはすぐに分かりました。
・・・・・②へ続く