これが現存している日本最古の木造の芝居小屋です。
<正面外観です>
勿論国の重要文化財に指定されています。
明治43年に、小坂鉱山で働く人達の厚生施設として造られました。
それが今は町営になっていますが、立派に現役です。
駐車場に入る前から、カラフルな登り旗が目に飛び込んで気ました。
<入り口前の道路を飾る登り旗です>
こうゆうのに元々弱いのかもしれませんが――大相撲の会場へ来たのかな――と、似たような《華やぎ》を感じました。
――建築家の石山修氏がやりそうなデザインだ・な――・なんて感じた鼻隠しです。
<鼻隠し>
何度か取替えられているのでしょうが、藍染の暖簾が眼に沁みました。
<入り口の新しい暖簾>
暖簾を潜って入る芝居小屋って、ものすごく斬新な気分でした。
二階の座敷から、下の舞台と客席を見ながら、この劇場の黒子さんから説明を聞きました。
<説明を受ける観光客>
ピンボケ写真になったのが面白くないですが、私達夫婦が入場した時、直前の人達への説明が始まるときでしたので、お蔭で一緒に説明を聞くことが出来てラッキーでした。
客席は全て座敷です。
<主客席>
中央に黒く見える細い板は通路です。
舞台に近いほど床が低くなっていて、後ろの人が見やすいようにとの配慮がされています。
こちらも客席です。
<通路と座席>
背中の一段高いところが通路です・・・大相撲の桝席と似ていますね。
これは主役が、舞台への《せり上がり》をする時に使われる装置です。
<せり上げ舞台の裏側です>
動力は二人の人力・・・省エネ・だア・・・と言うよりこの時代は、動かすモーターがまだ無かったのでしょう。
せり上げのとき使うロープです。
<競り上げ舞台の紐>
この細くて黒いロープを二人で引く・・・滑車が利用されていて以外に軽く上がるのだ・と説明してくれました。
直径9Mを越すほどもある回り舞台の裏側です。
<回り舞台の裏側です>
骨組みは木造です。
さして特別な仕口でも無いと思うのですが、今現在も確りしているのが判ります。
この回転軸を中心に四人で回すと言うのですが・・・冬期に、回す場面がくるまでここで待つ裏方さんは、可也の厳しい冷え込みに耐えなければならなかったでしょう。
<回転軸>
床下が蒸れないように外気取り入れの換気口が、大きな口を開いていましたから・・・四人で仲良く熱燗でも飲みながら時間まで待ったのかな・・・
これは舞台が回るとき、上下にぐらぐら揺れないように考えられた、触れ止め受けのローラーです。
<外周のローラー>
このローラーのお蔭で滑らかな回転が得られています。
いたる所落書きだらけのこの狭い楽屋――ここで、大勢の有名な役者さんが出番前の化粧をした――と、黒子さんも説明に熱が入ります。
<楽屋の黒子さん>
お客は、この芝居小屋の歴史が刻み込まれている壁中の落書きを見ながら、興味津々です・・・。
これは《たまたま》から生まれた《予期せぬ果実》なのか判断出来ませんが、歴史とはそういうものなのでしょう。
<楽屋の落書き>
最初は誰かの茶目っ気だったのかも・・・でも、
次々と書かれる落書きが、
1世紀も続くと《凄い歴史の生き証人》に大化けするのですね。
<玉三郎の落書き>
あの玉三郎もやっぱり人の子でした。
緞帳の上げ下ろしに使われる錘とロープです。
<舞台裏です>
普段は見られない裏方の主役――ロープが凄く新しく見えるのは、常にメンテナンスしているのでしょう――舞台装置って正に裏方さんですね。
右端三個の《笠がついた電灯》が、当時のものだそうです。
<天井の舞台照明>
まだ町に電気が通じていないとき、この芝居小屋には電気が引き込まれていた・と言います。
・・・当時の権力者の力は凄いものだった・のだなア・・・