特にこの福知山城に興味があったわけではなかったのですが、
明智光秀という武将の城だったというので、
―鳥取砂丘から京都への帰りのコース―に組み込んでみた・というのが本音でした。
駐車場から見上げると、そこに天守閣が見えました。
こちらもそうです。
僕の第一インプレッションは
「あんがいだな・・」
「木造ではないな・・」というものでした。
持って来た期待感に対して腰折れの感がしたということでしょう。
でも
「新しい・ナ・・・木造じゃあない・ナ・・・」
「結構綺麗なカーブを演出している・ナ」などと、〈矢ハザマ〉など見ながら天守閣へ向いました。
中に入る前に僕の目を引いたのは〈石垣〉でした。
それは寄せ集めで、今時の言い方をすれば、リサイクル品で積み上げられていたのです。
天守閣の中の係りの人に早速聞いてみました。
「あのー、このお城は木造ではないですよね?」・と。
「鉄筋コンクリートです」
「鉄骨鉄筋コンクリートじゃないですか?」・と念を押してみた。
「いや、純粋に鉄筋コンクリートです」
「石垣は?」と続けて聞いてみました。
「石垣はれっきとした、建立当時のものです」
「一切手を加えてありません」・・・と誇らしげに響く答えが返ってきました。
これは天守閣の窓から見た、下の層の屋根です。
こちらは外へ出て、改めて見上げたお城です。
「日本の石垣に、コンクリートの建物という取り合わせが、やっぱり合わない」・・とそんな違和感をどこかに感じるのは僕だけでしょうか?
私はここに木造のお城が建っていたときのことを想像しながら、
―信長という絶対君主に気遣いをしていた明智光秀―か、
―元々質素に育った明智光秀―か、
―両方の中で、戦国時代を生き抜いていた明智光秀―か、そういう事は分からないけど、
すごく奥深いものに触れた様な気がしたのです。
イタリアのベニスの島が、―そこら中の遺跡の石を埋めた上に出来ている―・と現地のガイドが喋っていたのを思い出しました。
これまた真贋の程はわからないけど、
―利用できるものを利用する―という〈合理性〉においては、現代の我々も大いに参考にするべきだと感じたものでした。