2010.5.23日 足もとの美「松阪」でマンホールの蓋と、この時昼食を採った<牛銀>の話を掲載いたしましたが、今回はその時の番外編を書こうかなと思います。
<牛銀>を出てすぐ、<本居宣長の旧宅>に立寄りました。
そこで見たこの写真は、僕が忘れかけていた厠(カワヤ)への縁側でした。
冬の日常生活では、ちょっと寒いかもしれません。
でも「そこに風情がある」・という矛盾したような世界を感じる歳になりました。
これは、入り口にあった案内看板です。
これを見たことが、松阪城の中の<宣長記念館>まで足を伸ばすきっかけになりました。
これはお城の石垣です。この坂を上ると記念館があります。
松阪城の中の記念館への道案内。
ここに書かれている<鈴屋>こそ、マンホールのデザイン(2010.5.23日掲載)になった原点だと知りました。
そこで見つけた<つるべ>の滑車
<つるべ>の滑車を吊るす上屋の代わりに、花崗岩の柱が立てられているのがすごいと思いました。
見学順路の帰り道で見た<県居大人零位>の掛け軸
少し小高いところから見えるように、窓が解放されていて、案内人のおじさんが熱っぽく<賀茂真淵と宣長の師弟関係>の話をとくとくと説明してくれました。
私達はその<賀茂真淵生誕の地>である浜松から来た・と話したら、ますますエスカレートしていましたね。
(その2へ続く)