2012年01月25日
ノイシュバンシュタイン城(ナノブロック)
エフ・ベースの Y さんが、
僕の退職に素敵なプレゼントをしてくれました。
あけてみると[nano block]でした。
僕が会社を辞めたら結婚50周年の1年前倒しで、ノイシュバンシュタイン城へ行くつもりだと話したことがあります。
これを受けて――途中で挫折しないで全うする気持ちを持ち続けよ――と激励の意味を込めて選んでくれたプレゼントでした。
A 素敵なデザインの包装箱です

B 中身を出したところ

C まずは全部の部品を並べてみました

D 一つのピースの上から見た大きさです

E 一つのピースの横から見た大きさです

F 組み立て2層目です

G 組み立て6層目です

H 組み立て12層目です

I 完成 正面

J 完成2 正面

K 完成 後ろのスケールと比べてください。

L 完成 裏面です

M 完成 裏面です

午後13:45 組み立て開始
午後17:52組立作業一時停止 この間4時間04分
午後18:52再び組み立て開始
午後19:04完成 作業終了 この間12分
合計4時間16分の格闘でした。
この歳で意外とネチッコイな――と再確認出来たのは余禄・・・カナ。
ありがたいことです。
感謝の意を込めて、組み立て完成までの報告です。
次は2月3日 「佐渡金山」を予定・・・見てね・・・
僕の退職に素敵なプレゼントをしてくれました。
あけてみると[nano block]でした。
僕が会社を辞めたら結婚50周年の1年前倒しで、ノイシュバンシュタイン城へ行くつもりだと話したことがあります。
これを受けて――途中で挫折しないで全うする気持ちを持ち続けよ――と激励の意味を込めて選んでくれたプレゼントでした。
A 素敵なデザインの包装箱です
B 中身を出したところ
C まずは全部の部品を並べてみました
D 一つのピースの上から見た大きさです
E 一つのピースの横から見た大きさです
F 組み立て2層目です
G 組み立て6層目です
H 組み立て12層目です
I 完成 正面
J 完成2 正面
K 完成 後ろのスケールと比べてください。
L 完成 裏面です
M 完成 裏面です
午後13:45 組み立て開始
午後17:52組立作業一時停止 この間4時間04分
午後18:52再び組み立て開始
午後19:04完成 作業終了 この間12分
合計4時間16分の格闘でした。
この歳で意外とネチッコイな――と再確認出来たのは余禄・・・カナ。
ありがたいことです。
感謝の意を込めて、組み立て完成までの報告です。
次は2月3日 「佐渡金山」を予定・・・見てね・・・
2012年01月23日
<わが家の上空>
去年の8月か9月だったと思うのですが、
[Google Earth] というのを知りました。
開いてみると、わが家が写っていたのです。
今まで
狸が出るとか、リスが出るとか・・・こんな記事を書いていましたが、
なかなか
「本当・・・」とか
「どんなところ・・・」とかいう疑問に、うまく対応出来ていなかったのかなとチョットばかり反省。
そこで改めて、《僕の話の真偽》・を幾らかでも感じ取っていただこうと思い立ち、
<わが家の上空>を紹介いたします。

A:わが家
B:浜松商工会議所
C:サンコート浜松(マンション)
D:賀茂真淵記念館
E:光雲寺
画面の上部が北(方位)で、
AとBの間に帯状の東西に走っているのが<雄踏街道>です。
Aのすぐ北側に白っぽく見えるのは、急傾斜対策で造られた擁壁です。
この擁壁と南側の緑っぽく見える所(建物のすぐ北側)との間を、狸が東西に移動しているのです。
リスは建物のすぐ近くまで来ます。
こちらはサンコート浜松(マンション)の屋上から、
僕の<エクセルの師匠>が撮影してくれたものです。

A:わが家
B:グランドホテル
C:アクトタワー
わが家のすぐ左手に見えるのが擁壁です。
建物側に見える金網のフェンスとの間が、狸やリス・山鳩などの移動空間になっています。
今日(1月23日AM11:45頃)出先から帰ってきたら、
この駐車場で、猫がリスに噛み付いているのを目撃しました(駐車場で見るのは初めてのことです)
車を停めて急いで写真を・・・と思ったときには時すでにおそし・で、
必死になってリスが逃げて、猫は追うのをやめました。
たぶん両者とも、もっとも恐ろしい人間を感じたのでしょう。
都会の中の小さな緑の森ですが、
生き物たちにとっては楽園なのか・・・どうでしょう。
[Google Earth] というのを知りました。
開いてみると、わが家が写っていたのです。
今まで
狸が出るとか、リスが出るとか・・・こんな記事を書いていましたが、
なかなか
「本当・・・」とか
「どんなところ・・・」とかいう疑問に、うまく対応出来ていなかったのかなとチョットばかり反省。
そこで改めて、《僕の話の真偽》・を幾らかでも感じ取っていただこうと思い立ち、
<わが家の上空>を紹介いたします。
A:わが家
B:浜松商工会議所
C:サンコート浜松(マンション)
D:賀茂真淵記念館
E:光雲寺
画面の上部が北(方位)で、
AとBの間に帯状の東西に走っているのが<雄踏街道>です。
Aのすぐ北側に白っぽく見えるのは、急傾斜対策で造られた擁壁です。
この擁壁と南側の緑っぽく見える所(建物のすぐ北側)との間を、狸が東西に移動しているのです。
リスは建物のすぐ近くまで来ます。
こちらはサンコート浜松(マンション)の屋上から、
僕の<エクセルの師匠>が撮影してくれたものです。
A:わが家
B:グランドホテル
C:アクトタワー
わが家のすぐ左手に見えるのが擁壁です。
建物側に見える金網のフェンスとの間が、狸やリス・山鳩などの移動空間になっています。
今日(1月23日AM11:45頃)出先から帰ってきたら、
この駐車場で、猫がリスに噛み付いているのを目撃しました(駐車場で見るのは初めてのことです)
車を停めて急いで写真を・・・と思ったときには時すでにおそし・で、
必死になってリスが逃げて、猫は追うのをやめました。
たぶん両者とも、もっとも恐ろしい人間を感じたのでしょう。
都会の中の小さな緑の森ですが、
生き物たちにとっては楽園なのか・・・どうでしょう。
2012年01月20日
ひろさん・の送別会
過去転職7回のキャリアでしたが、昨日めでたく [老年退職] 致しました。
勤め先の [有限会社エフ・ベース] の皆さん並びに協力会社の皆様が、
私の送別会を開いてくれました。
本当に感激させられた送別会でした。
・・・花束を二つも頂戴しました。
過去1度も経験しなかったし、僕の人生では、今後もう二度と考えられない出来事でした・・・
これ頂戴した花束を、妻が活けてくれました。

暫く朝晩鑑賞できます。
・・・「本当に、ありがとうございました」
勤め先の [有限会社エフ・ベース] の皆さん並びに協力会社の皆様が、
私の送別会を開いてくれました。
本当に感激させられた送別会でした。
・・・花束を二つも頂戴しました。
過去1度も経験しなかったし、僕の人生では、今後もう二度と考えられない出来事でした・・・
これ頂戴した花束を、妻が活けてくれました。
暫く朝晩鑑賞できます。
・・・「本当に、ありがとうございました」
2012年01月20日
ブログ掲載地区変更しました。
平成18(2006)年10月から5年3ヶ月、
年寄りの《おーじ》こと《ひろさん》は、
勤務させていただいた《エフ・ベース》を、
このたび、
めでたく《老年退職》させていただきました。
平成19年(2007)11月から掛川地区でブログ
《俺のたわごと》――後に現在の《おーじのたわごと》に変更――として、
マンホールの蓋をメインに
チョット<たわごと>チョット<本音>を掲載してきました。
本年1月13日分からは、居住区の浜松市中区へ掲載しましたので、宜しく・です。
身体との相談をしながら続けるつもりですので、
これからも覗いていただけると<たわごと冥利>につきます。
掛川地区の方々と、ご縁のあった方々
並びに浜松地区の新たな方々へのご挨拶といたします。
2012年01月13日
大極殿
奈良へは高校生の修学旅行かなんかで来たのを初めとして、結構回数来ています。
前回は1999.3.24に薬師寺を見に来たとき。
これが一般公開する直前(2010.4.10)の大極殿(だいごくでん)です。
山高帽を深々とかぶった
<笑うセールスマン>を連想してしまった。
第一層の屋根の下のガラスが<大きく笑った口>に見える。
屋根が彼のセールスポイントである黒い山高帽子をイメージさせるのだ。
「僕変なのかなあ・・・」
――ガラスを嵌め(はめ)込んだところが気に入らない――という個人的感情が、ゆがんだ見方を促(うな)がしているのかも・・・
内部を見ていないので何ともいえないけれど、
――建物は、歴史を遡(さかのぼ)って造った――と言われている。
――ガラスという<近代文明>を、そこへ混入させちゃった。
・・・というところが、何だかセールスマンの甘い誘いに載せられたのではないかと、甚だ僕は面白くない。
だから――セールスマンが笑っているのだ――ということになっちゃう・のだ。
これが、意識的にしたのか偶然だったのか・・・。
偶然でなく意識的にガラスを嵌め込んだとしたら、これは凄い事ではある。
――500年1000年後の人類を意識して造った平成という時代は、こんなに凄いガラスを使いこなしていたのだ――という驚きの目でこれを見るだろう・・・という意識であろうか。
兎に角笑うセールスマンの誘いに乗った振りをして、笑うセールスマンを笑ってやろうとたくらんだのかもしれない。
僕の生命はあと何年でもないので、僕に確認のすべは無い・・・。
でもこれなら、誠に痛快ではある。
ちょっと番外編
こちらは僕たち夫婦と同じように公開前に来た観光客です。
カメラを構えている女性は、芝生が活着する前の法面(のりめん)に立ち入らないように監視していた女性係官です。
<カメラのシャッターを切る>・・というサービスもしているところが、ただ監視するだけでなくチョット和む・カナ・?
2012年01月08日
春の息吹<蕗(ふき)のとう>
今日(2月8日)、家の中が寒いので
――年を取った所為か、僕がやたらと寒がりになっちゃったのが原因ですけど――
窓から見た裏山の日当たりが、僕に
「おいでよ」・・・と、呼んでいるように感じたのです。
というわけで<日向ぼっこ>でもしようと思い立って、山登りしました。
山登りと言っても、我が家の建っている地盤からは、ほんの5m程度の高低差のところです。
5~6年前に、ここに蕗畑を作りました。
それがこれです。
覗いてみたら
「こんにちは」・・・と<蕗のとう>が顔を出していました。
正に<春の息吹>というか<自然の恵み>というのか<嬉しい足音>です。
台所へ持って行ったのは良かったのですが、
「全部そろえて写真を撮るつもりだから・・・」との一言が足りなかった為に、
洗面所から出てきたときは、<良い匂い>が立ち昇っていました。
「ブログで紹介しようと思っていたのに」・と僕。
「そんなこと知らない」・と妻。
というわけで<遅かりし由良の介>でした。
これが<茹(ゆ)で上がった蕗のとう>で、水に晒す前に撮ったものです。
でも今夜の一杯は、春の匂いを満喫できそうだ・という期待に膨らんでいます。
蛇足:当初は彼方此方(あちこち)に自生していた蕗を集めて、植付けただけでしたが、毎年枯葉など集めては堆肥代わりに手をかけていたところ、5月の筍の時分になると、結構Goodな蕗が食卓を飾ってくれる様になりました。
ここ2~3年は、ご近所の人にお裾分けも出来るようになってきました。
2012年01月06日
日本の蔵 その10 「平城京」
――あけまして おめでとう ございます――
2012年、最初のブログです。
今年は、どこまで続けられるか――歳のせいで――自分でも楽しみにしていますので、適当に覗いてください。
これは、たぶん蔵でしょう。
「蔵」でなくても「蔵だ」と断言しておきます。
「何ともシンプルで、何と美しいフォルムをしていることか」
・・・これは僕の感じたままの気持ちです。
平城京の大極殿(だいごくでん)を見に行ったとき、駐車場から歩き始めてすぐにこれを見つけた。
見つけたというより、目に飛び込んできた・・・というのが正解かも知れません。
今まで個人のお蔵を幾つか紹介してきましたが、
これはたぶん公(国)のお蔵でしょう。
天皇個人のお蔵かもしれないが、僕にとってそれはどちらでもかまわないことです。
――無駄が無い。
――緩みも無い。
見る者の心を引き締めるオーラが出ている・と感じた・それだけで満足でした。
2011年12月29日
美保神社
男がここに立ったとき、妙なことに気が付いた。
こことは、
島根半島(島根県松江市)の東の端に近い《美保関港》を目の前にした場所である。
まさに目の前が港という、その場所にある美保神社の鳥居の前に立っているのである。
「なんで港の近くにあるのか・・・」
最初の疑問であったが、それは海の神様《えびす様》が祭られているからだ・・・とここへ来る前に立ち寄った、美保関灯台のところで見た《美保之碕(みほのさき)由来》なる建て看板で納得していたはずのことだ。
冒頭の妙なこととは、この重なるように建っている二つの鳥居のことである。

「なんで二つ建っているのだ・・・」
「鳥居は一つじゃないのか・・・」
「もっとも、赤い鳥居のお稲荷さんは別だけどな・・・」
兎に角このとき《珍しい》と思った。
大概、《神社の鳥居は一つだ》と、思い込んでいたからだ。
二つ目の鳥居を潜ったところで狛犬が、
正に、阿吽(あうん)の呼吸とでも言うのか出迎えてくれた。

こちらは阿形(あぎょう)であるが、石が柔らかいのか可也痛んでいる。

こちらは吽形(うんぎょう)である。
氏子の人達が舟を、手入れのため真っ黒にお色直しをしていた。

「こんなところ(神社の境内)で、何で舟だ・・・」
と男の脳はこの時点で、この舟が《神船》だという現実を理解出来ていなかった。
・・・ここが、海の神様《恵比寿様》がご本尊だと知っていたはずなのに・・・
それだけ現実と乖離していたのだ。
それでも何故か素直に「ご苦労様」・と頭が下がった。
労力を惜しまないボランティアの姿と、己の住んでいるところの氏子代表の方々の苦労している姿とを重ね合わせていたのである。
珍しい水屋である。

普通は四方転びの柱が四本で屋根を支える形のものであるが、ここは柱が垂直である。
さらに3本寄せてある。方杖のように斜めではなく三本とも垂直だ。
その柱の足元は大きな自然石を、基礎にしている。

「たぶん乗せてあるだけだろう・・・ナ」
それから参道を進んだ。
いよいよ目の前は本殿入り口である。

「アレ!」・・・と、また思った――石垣から跳ねだしたこの造りに、天守閣の外部に見られる武者返しの雰囲気がある――
神社というより、《お城》だと感じたのだ。
立派な注連縄(しめなわ)である。

造りは――束にした藁(わら)を薦(こも)で包んでから捩って(よじって)いる――
「これは、出雲大社の注連縄と同じ造りだな」
大きさこそ叶わないけど、格式の高い低いは別にして立派である。
風通しのよい本殿である。

――雪が積もる
――冷え込みは厳しい
――それなのに《何故、壁が無い》のか――
「お金の問題ではあるまい」
「これは、本殿の中へ《雪に反射する月明かり》を導く為・・・カナ」
男は、銀閣寺の《銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい)》が浮かんでいた。
あれは、月を鑑賞するための仕掛けだと言われている。
「もしかして・・・」
そうだとしたら、幽玄の世界を演出する為に、寒さ対策を後にしたと言う事になる。
「俺には、とてもこの真似は出来ない」・・・
――男は、住宅を設計するという日常の仕事に置き換えて考えていたのだ――
この境内に入ってきたところを振り返った。

7枚目の写真で、跳ねだしに造られていたように見えた部分の内側である。
ここから本殿までの間の空間は、小砂利が敷きこんである。
神社と寺の違いがあるのに、法隆寺の夢殿と回廊の関係に似ている。
――ここが現世で、大海を表現しているのが小砂利の敷きこんだ空間だ。
その向こうに本殿(来世)がある――と考える神仙島の思想と似通っている。
要するに古(いにしえ)の人々は、仏教も神教も、どれにも共通するものを感じて、それを受け入れていたのに違いない。
「森に しみ入る 祝詞(のりと)の声」
松尾芭蕉のパロディーが浮かぶほど静寂な本殿の中から、厳かな祝詞の声が聞える。
音楽というものに、およそ縁が無いと思い込んでいたけど、この声は腹に沁みこむ音階だ。
神官とは離れた本殿の片隅に、巫女が二人静かに正座していた。

「今、何を念じているのか・・・」
彼女たちは、俺とは次元の違うところにいるのだ。

中央の柱の下に、神官がかすかに見える。
一般的には天井があって小屋組みが見えないけど、ここは野地板を含めて小屋組み全体がみんな白木(桧と思われる)の化粧(カンナで綺麗に削り上げてある)だ。
梁の継ぎ手が、肘木(ひじき)の上で作ってあるらしい。

野物が一本も使われていない。
その事が、清楚な小屋組みを演出している。
梁の上端に、わざわざ蓋を付けている。
細やかさが、誠にニクイ・・・
――雪明りに浮かぶ骨組みのシルエットが、男の脳に焼きついた――
《おーじのたわごと》も今年(2011年)は、これでおしまいにします。
皆さん よいお年を!
こことは、
島根半島(島根県松江市)の東の端に近い《美保関港》を目の前にした場所である。
まさに目の前が港という、その場所にある美保神社の鳥居の前に立っているのである。
「なんで港の近くにあるのか・・・」
最初の疑問であったが、それは海の神様《えびす様》が祭られているからだ・・・とここへ来る前に立ち寄った、美保関灯台のところで見た《美保之碕(みほのさき)由来》なる建て看板で納得していたはずのことだ。
冒頭の妙なこととは、この重なるように建っている二つの鳥居のことである。
「なんで二つ建っているのだ・・・」
「鳥居は一つじゃないのか・・・」
「もっとも、赤い鳥居のお稲荷さんは別だけどな・・・」
兎に角このとき《珍しい》と思った。
大概、《神社の鳥居は一つだ》と、思い込んでいたからだ。
二つ目の鳥居を潜ったところで狛犬が、
正に、阿吽(あうん)の呼吸とでも言うのか出迎えてくれた。
こちらは阿形(あぎょう)であるが、石が柔らかいのか可也痛んでいる。
こちらは吽形(うんぎょう)である。
氏子の人達が舟を、手入れのため真っ黒にお色直しをしていた。
「こんなところ(神社の境内)で、何で舟だ・・・」
と男の脳はこの時点で、この舟が《神船》だという現実を理解出来ていなかった。
・・・ここが、海の神様《恵比寿様》がご本尊だと知っていたはずなのに・・・
それだけ現実と乖離していたのだ。
それでも何故か素直に「ご苦労様」・と頭が下がった。
労力を惜しまないボランティアの姿と、己の住んでいるところの氏子代表の方々の苦労している姿とを重ね合わせていたのである。
珍しい水屋である。
普通は四方転びの柱が四本で屋根を支える形のものであるが、ここは柱が垂直である。
さらに3本寄せてある。方杖のように斜めではなく三本とも垂直だ。
その柱の足元は大きな自然石を、基礎にしている。
「たぶん乗せてあるだけだろう・・・ナ」
それから参道を進んだ。
いよいよ目の前は本殿入り口である。
「アレ!」・・・と、また思った――石垣から跳ねだしたこの造りに、天守閣の外部に見られる武者返しの雰囲気がある――
神社というより、《お城》だと感じたのだ。
立派な注連縄(しめなわ)である。
造りは――束にした藁(わら)を薦(こも)で包んでから捩って(よじって)いる――
「これは、出雲大社の注連縄と同じ造りだな」
大きさこそ叶わないけど、格式の高い低いは別にして立派である。
風通しのよい本殿である。
――雪が積もる
――冷え込みは厳しい
――それなのに《何故、壁が無い》のか――
「お金の問題ではあるまい」
「これは、本殿の中へ《雪に反射する月明かり》を導く為・・・カナ」
男は、銀閣寺の《銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい)》が浮かんでいた。
あれは、月を鑑賞するための仕掛けだと言われている。
「もしかして・・・」
そうだとしたら、幽玄の世界を演出する為に、寒さ対策を後にしたと言う事になる。
「俺には、とてもこの真似は出来ない」・・・
――男は、住宅を設計するという日常の仕事に置き換えて考えていたのだ――
この境内に入ってきたところを振り返った。
7枚目の写真で、跳ねだしに造られていたように見えた部分の内側である。
ここから本殿までの間の空間は、小砂利が敷きこんである。
神社と寺の違いがあるのに、法隆寺の夢殿と回廊の関係に似ている。
――ここが現世で、大海を表現しているのが小砂利の敷きこんだ空間だ。
その向こうに本殿(来世)がある――と考える神仙島の思想と似通っている。
要するに古(いにしえ)の人々は、仏教も神教も、どれにも共通するものを感じて、それを受け入れていたのに違いない。
「森に しみ入る 祝詞(のりと)の声」
松尾芭蕉のパロディーが浮かぶほど静寂な本殿の中から、厳かな祝詞の声が聞える。
音楽というものに、およそ縁が無いと思い込んでいたけど、この声は腹に沁みこむ音階だ。
神官とは離れた本殿の片隅に、巫女が二人静かに正座していた。
「今、何を念じているのか・・・」
彼女たちは、俺とは次元の違うところにいるのだ。
中央の柱の下に、神官がかすかに見える。
一般的には天井があって小屋組みが見えないけど、ここは野地板を含めて小屋組み全体がみんな白木(桧と思われる)の化粧(カンナで綺麗に削り上げてある)だ。
梁の継ぎ手が、肘木(ひじき)の上で作ってあるらしい。
野物が一本も使われていない。
その事が、清楚な小屋組みを演出している。
梁の上端に、わざわざ蓋を付けている。
細やかさが、誠にニクイ・・・
――雪明りに浮かぶ骨組みのシルエットが、男の脳に焼きついた――
《おーじのたわごと》も今年(2011年)は、これでおしまいにします。
皆さん よいお年を!
2011年12月23日
アロエの花
わが家で毎年咲くアロエですが、今年も綺麗に咲いたので、
ブログで紹介しようと「思いつき写真」を撮りました。
(写真 2011.12.18 撮影)
原稿を書き始めて調べてみたら
2009年12月18日に「わがやのアロエ」で
11月1日→12月18日撮影分を紹介していました。
でも「いいか・・・」
と、懲りずに紹介することにしました。
「何で・?」
図らずも写真撮影した日(12月18日)が、2年前と全く同じだったという、
気まぐれ写真にしては偶然の一致だったことに、
何故か――アロエから催促されたみたい――な空気を感じたからでした。
・・・というわけで、興味を感じられた方は、2009.12.18のブログを開けていただくと比べられます・・・全くの蛇足でした。
2011年12月18日
紅葉の生垣
紅葉した紅葉の生垣です。

3Cm程の小さな実生の苗を拾い集めて植えてから数えると10年ほどは経過していると思います。
H20年の暮れに、庭やさんに、四つ目垣を造ってもらいました。
それから僕が垣根に添うように枝を曲げて縛ったり、出すぎた枝は選定したりしてきたのですが、やっと生垣らしくなってきました。
春先の新緑も良いですが、この時期の紅葉もまた格別です。
「なかなか紅葉しないな」・・・と思いながら見てはいたのですが、
「冷え込みが堪えるな」・・・と感じ出したら急に色づき始めました。
ところが少し目を離していたら、すっかりピークを過ぎてしまいチョット残念。
来年は新緑と紅葉の最盛期を逃さず紹介できるように観察するつもりです。
3Cm程の小さな実生の苗を拾い集めて植えてから数えると10年ほどは経過していると思います。
H20年の暮れに、庭やさんに、四つ目垣を造ってもらいました。
それから僕が垣根に添うように枝を曲げて縛ったり、出すぎた枝は選定したりしてきたのですが、やっと生垣らしくなってきました。
春先の新緑も良いですが、この時期の紅葉もまた格別です。
「なかなか紅葉しないな」・・・と思いながら見てはいたのですが、
「冷え込みが堪えるな」・・・と感じ出したら急に色づき始めました。
ところが少し目を離していたら、すっかりピークを過ぎてしまいチョット残念。
来年は新緑と紅葉の最盛期を逃さず紹介できるように観察するつもりです。
2011年12月16日
2011年 わが家の蘭
肋骨骨折でもう一月半も、手入れをしないまま放置されたわが家の裏山です。
――もっとも手入れと言っても雑草撤去しかしないけど――本人にしたらこれが大事な手入れです。
でも自然は凄い。
荒れ放題の中でも立派に花芽を付けてくれました。
9月17日 AM9:00 に撮影。
今年こそ、数日置きに成長の過程を撮影するぞ、とリキンダ・のでしたが、台風15号でこんなになっちゃいました。
2011.9.22日 撮影 「レ・ミゼラブル」・・・まことに残念。
「お見事」・・・と言いたいほど見事に裂けた枝の痕です。
枝と言っても、幹周りと言うのか、枝周りというのか、兎に角外周53センチもある枝です。
こいつが上から「ドサ」と落ちてきたのです。
ほっとく訳にも行かないので、小枝を整理しました。
花の軸が折れてしまったのに、花芽が毎日大きく膨らんでいます。
折れた花をそのままにしておくのも気の毒だと思い、9月25日、妻に見せようと軸を切り取りました。
「 もったいない」・と妻が花瓶に挿しました。
6帖の部屋一杯に、甘い香りが充満しました。
――来年に期待しよう――
2011年12月09日
足もとの美「上越市」
足もとの美「上越市」
妻の「佐渡へ行こう」という提案に乗りました。
早速<ひろさん>が立てた旅行計画では、
最初の立ち寄り先に、この上越市の<上越市立博物水族館>を選びました。
自宅から410.5 Km、所要時間6時間34分。
・・・これが<美合PAと梓川SAと妙高SA>でのトイレ休憩並びに<恵那峡SA>での朝食を摂る時間も含めた詳細な時間割でした。
そもそもこれは、直江津港から小木港へ渡るか、船数の多い新潟港から両津港へ渡るのか、可也悩んだ上の結論でした。
夜中に出発して、直江津港から朝一番のフェリーに乗ったとしても、一人運転では佐渡に渡ってからが大変だという判断をしたのです。
その結果、走行距離は長くなるけど新潟港から渡ることを選択したのです。
・というわけで、新潟まで走る前に休憩と気分転換と昼食等々の時間的に具合の良かったここを選択したのです。
AM5:00に自宅を出て、AM5:21には浜松西ICを通過しました。
至極順調だと喜んでいたました。
ところが岡崎の手前辺りから渋滞に巻き込まれてしまったのです。
この渋滞が、結果的に今回のツアーに、最も大きな影響を与えました。
最初から目的地をカーナビにセットすると、
「次右に曲がれ、とか左に曲がれとか」ウルサクテしょうがない。
「何処かのSAでセットすれば十分だ」・・・と考えていたのです。
これがそもそも、間違いの始まりでした。
遅れを取り戻そうと若干焦(あせ)った事が重なりました。
東海環状線の土岐JCTで中央道へ乗るつもりでしたが、東海北陸自動車道へ乗ってしまったのです。
「そんな馬鹿な・」という「馬鹿をした」のです。
横にいた妻は
「何で、カーナビにセットしなかったの・?」
「そんなに運転に自信がある積もり・?」
矢継ぎ早に非難轟々。
怒りはいつまでも治まりません。
ハザードを付けて路肩に止まって、遅ればせながら目的地をセットしました。
「次のICで降りて、もとへ戻るか」
「もうこの道を行くしか無いか」の二者択一です。
「この道を行く」に決断しました。
妻にその影響がモロに出たのです。
「二度と車では嫌だ」・・・とゴネル。
妻の不興が治まらないまま走った距離は479.8 Km .
計画案との差は69.3 Kmオーバーでした。
この<上越市立水族博物館>へ到着したのは、当初組み立てた目標時間11:34着より23分ほど早い11:11でした。
――朝食を摂る時間がもったいないと走り続けた――努力の甲斐があったといえばそれまでですが、兎に角冷や汗ものでした。
駐車場に入るとき「お疲れサン」とこいつが迎えてくれました。

――チョッピリ嬉しかった――
けれども妻の機嫌が気になって、喜んでばかりはいられなかったです。
・・・まさに、ホロ苦のスタートでした・・・
妻の「佐渡へ行こう」という提案に乗りました。
早速<ひろさん>が立てた旅行計画では、
最初の立ち寄り先に、この上越市の<上越市立博物水族館>を選びました。
自宅から410.5 Km、所要時間6時間34分。
・・・これが<美合PAと梓川SAと妙高SA>でのトイレ休憩並びに<恵那峡SA>での朝食を摂る時間も含めた詳細な時間割でした。
そもそもこれは、直江津港から小木港へ渡るか、船数の多い新潟港から両津港へ渡るのか、可也悩んだ上の結論でした。
夜中に出発して、直江津港から朝一番のフェリーに乗ったとしても、一人運転では佐渡に渡ってからが大変だという判断をしたのです。
その結果、走行距離は長くなるけど新潟港から渡ることを選択したのです。
・というわけで、新潟まで走る前に休憩と気分転換と昼食等々の時間的に具合の良かったここを選択したのです。
AM5:00に自宅を出て、AM5:21には浜松西ICを通過しました。
至極順調だと喜んでいたました。
ところが岡崎の手前辺りから渋滞に巻き込まれてしまったのです。
この渋滞が、結果的に今回のツアーに、最も大きな影響を与えました。
最初から目的地をカーナビにセットすると、
「次右に曲がれ、とか左に曲がれとか」ウルサクテしょうがない。
「何処かのSAでセットすれば十分だ」・・・と考えていたのです。
これがそもそも、間違いの始まりでした。
遅れを取り戻そうと若干焦(あせ)った事が重なりました。
東海環状線の土岐JCTで中央道へ乗るつもりでしたが、東海北陸自動車道へ乗ってしまったのです。
「そんな馬鹿な・」という「馬鹿をした」のです。
横にいた妻は
「何で、カーナビにセットしなかったの・?」
「そんなに運転に自信がある積もり・?」
矢継ぎ早に非難轟々。
怒りはいつまでも治まりません。
ハザードを付けて路肩に止まって、遅ればせながら目的地をセットしました。
「次のICで降りて、もとへ戻るか」
「もうこの道を行くしか無いか」の二者択一です。
「この道を行く」に決断しました。
妻にその影響がモロに出たのです。
「二度と車では嫌だ」・・・とゴネル。
妻の不興が治まらないまま走った距離は479.8 Km .
計画案との差は69.3 Kmオーバーでした。
この<上越市立水族博物館>へ到着したのは、当初組み立てた目標時間11:34着より23分ほど早い11:11でした。
――朝食を摂る時間がもったいないと走り続けた――努力の甲斐があったといえばそれまでですが、兎に角冷や汗ものでした。
駐車場に入るとき「お疲れサン」とこいつが迎えてくれました。
――チョッピリ嬉しかった――
けれども妻の機嫌が気になって、喜んでばかりはいられなかったです。
・・・まさに、ホロ苦のスタートでした・・・
2011年12月02日
足もとの美「阿智村」
松川ICから乗った中央自動車道を、飯田山本ICで降りて国道153号線に乗った。
勿論<浜松>へ帰るためである。
昼時だから「どこかで飯を」・・・と助手席のFさんに声をかけた。
「そうだな」・・・とFさん。
だが「何処そこにする」・・・という返事がなかなか返ってこない。
車は進む。
その時<うどんや>の看板が目に入ってきた。
「あそこはどう?」
「良いじゃない」
・・・というわけで駐車場へ入って車を出たら
――これが待っていた――

何か劇的な出会いを感じた。
この店に入る前にすぐシャッターを切った。

この写真は、上の蓋をまたいで撮ったものである。
家にかえってみたら<勝手に思い込んでいた飯田市>ではなく
<阿智村>と解かった・・・。
蓋にACHI・VILLAGE・SEWERAGEと読める。
思い込みとは恐ろしいもので、
十数年前から毎年2回は確実にここを往復していたのに
<阿智村>だったとは露ほども考えていなかった。
この一枚の蓋のある地域は、ずっと飯田市だと思って通行していた。
今回これを見直すキッカケを作ってくれた。
・・・嬉しい一枚である。
勿論<浜松>へ帰るためである。
昼時だから「どこかで飯を」・・・と助手席のFさんに声をかけた。
「そうだな」・・・とFさん。
だが「何処そこにする」・・・という返事がなかなか返ってこない。
車は進む。
その時<うどんや>の看板が目に入ってきた。
「あそこはどう?」
「良いじゃない」
・・・というわけで駐車場へ入って車を出たら
――これが待っていた――
何か劇的な出会いを感じた。
この店に入る前にすぐシャッターを切った。
この写真は、上の蓋をまたいで撮ったものである。
家にかえってみたら<勝手に思い込んでいた飯田市>ではなく
<阿智村>と解かった・・・。
蓋にACHI・VILLAGE・SEWERAGEと読める。
思い込みとは恐ろしいもので、
十数年前から毎年2回は確実にここを往復していたのに
<阿智村>だったとは露ほども考えていなかった。
この一枚の蓋のある地域は、ずっと飯田市だと思って通行していた。
今回これを見直すキッカケを作ってくれた。
・・・嬉しい一枚である。
2011年11月25日
足もとの美「豊橋」
これは――【honoyuu mama】からもらった――といって、2008.12.5に紹介したものです。

<じゃくでん>らしい文字が何とか読める。
何故再びこれを出したか・・・それは、
私の住んでいる町の「町民レクレーション」があったのです。
2011.11.13のことです。
およそ160名の参加者がありました。
バス4台に分乗して豊橋の<動植物園>に行ったのです。
物語はこれからです。
中央ゲートを入って、自由行動になった途端にこのマンホールに目が止まったのです。

「あっ・確か一度ブログに乗せたぞ」
「絵柄は間違いない」
・・・まだこのとき<こうあつ>という文字には気が回っていませんでしたが、兎に角カメラに納めました。
「パチパチパチ・・・」と音はしませんが、何回かシャッターを切ったことは言うまでもありません。
妻や隣組の友人たちはこれに乗ろうという相談をしています。

<館内遊覧車>
僕はあまり気乗りしなかったが、兎に角同乗しました。
大人たちばかりでしたが、みんな子供みたいに<はしゃいで>いました。
ところが僕一人は全然違ったところで<興奮>していたのです。
それは<館内遊覧車>が走る道路上に、マンホールが沢山、車上の僕を見て笑っていたからです。
もうこの笑いには勝てません。
早くトロッコが終点に着くことばかり考えていました。
終点で下車したみんなはここへ入るという。

<自然史博物館>
僕はもう我慢できないで、みんなには悪いと思いながらも行動を別にする決断をしました。
「悪いけど、30分後にまたここへ戻ってくるので・・・」
「妻は冷たい目線と冷たい言葉・・・」
でも一人になって
「それ行け・」とマンホール目指して走り出しました。
次々と見つけてはカメラに納めました。
その数20枚は下らなかった.かな、でも
帰宅後整理すると、全部で5種類違ったものが写っていました。
こちらは<きょうでん>という文字が読めます。これも絵柄は最初の物と同じです。

これは<うすい>

絵柄はペリカンみたいです。
こちらは<パドックおすい>

こちらの抽象的な絵柄は何だか解かりませんけど、
ひょっとしたらシマウマかななどと考えています。
<植物園>

結局みんなと一緒に見て回ったのは、この植物園だけでした。
妻の「ドーカしてる」・・・という声が、耳の鼓膜を破きそうでした。
<じゃくでん>らしい文字が何とか読める。
何故再びこれを出したか・・・それは、
私の住んでいる町の「町民レクレーション」があったのです。
2011.11.13のことです。
およそ160名の参加者がありました。
バス4台に分乗して豊橋の<動植物園>に行ったのです。
物語はこれからです。
中央ゲートを入って、自由行動になった途端にこのマンホールに目が止まったのです。
「あっ・確か一度ブログに乗せたぞ」
「絵柄は間違いない」
・・・まだこのとき<こうあつ>という文字には気が回っていませんでしたが、兎に角カメラに納めました。
「パチパチパチ・・・」と音はしませんが、何回かシャッターを切ったことは言うまでもありません。
妻や隣組の友人たちはこれに乗ろうという相談をしています。
<館内遊覧車>
僕はあまり気乗りしなかったが、兎に角同乗しました。
大人たちばかりでしたが、みんな子供みたいに<はしゃいで>いました。
ところが僕一人は全然違ったところで<興奮>していたのです。
それは<館内遊覧車>が走る道路上に、マンホールが沢山、車上の僕を見て笑っていたからです。
もうこの笑いには勝てません。
早くトロッコが終点に着くことばかり考えていました。
終点で下車したみんなはここへ入るという。
<自然史博物館>
僕はもう我慢できないで、みんなには悪いと思いながらも行動を別にする決断をしました。
「悪いけど、30分後にまたここへ戻ってくるので・・・」
「妻は冷たい目線と冷たい言葉・・・」
でも一人になって
「それ行け・」とマンホール目指して走り出しました。
次々と見つけてはカメラに納めました。
その数20枚は下らなかった.かな、でも
帰宅後整理すると、全部で5種類違ったものが写っていました。
こちらは<きょうでん>という文字が読めます。これも絵柄は最初の物と同じです。
これは<うすい>
絵柄はペリカンみたいです。
こちらは<パドックおすい>
こちらの抽象的な絵柄は何だか解かりませんけど、
ひょっとしたらシマウマかななどと考えています。
<植物園>
結局みんなと一緒に見て回ったのは、この植物園だけでした。
妻の「ドーカしてる」・・・という声が、耳の鼓膜を破きそうでした。
2011年11月18日
足もとの美「三郷町(さんごうちょう)」
奈良県の<信貴山(しぎさん)朝護孫寺(ちょうごそんじ)>を見たあとのことです。
法隆寺へ立ち寄ろうと坂道を下ってきました。
狭い道で結構勾配のきつい坂でした。
この坂の途中でマンホールを見つけたのです。
<なにが何でも撮影したい>という思いと、
<止まれない>という状況が、先ほどから胃を締め付けます。
眼(まなこ)を皿のようにして、ほんの少しの空間を求める僕の脳が
「ここなら何とかなる」・・・と判断を下したのです。
ところが、止まっては見たがドアが開けられません。
前方からバスが目の前に迫っていました。
後方は、何台かの乗用車が、僕の車を追い越せなくて列を繋げていたのです。
「いい加減にしろ」・・・と後方の車から罵声が聞えるようでした。
もう恥ずかしげも無くというか
「ごめんなさい」・・・と心の中で唱えながら、
バスと前後の車が通り過ぎるのを辛抱強く車内で待つしかなかったのです。
止まるところを探すのに全ての神経を使って、前後の交通の流れまで気が回っていなかったのです。
汗顔の思いで撮ったのが、このマンホールの蓋です。
マンホールを撮って気分が落ちついたら、
すぐ道の反対側に、僕を迎え入れてくれたに違いないビル<信貴山の>があることに気付いたのです。
止まる前に確認できていたら
「ちょっとごめんね」・・と、お宅へ入れてもらったのに。
そうすりゃあ
「こんな冷や汗を流さなくても良かった」
・・・かな・?
・・・と後の祭りでした・・・
2011年11月11日
屋根の美 その9 「宿根木」
佐渡ケ島へフェリーで渡るには、新潟港から両津港へ渡るのと、もう一つ上越市の直江津港から小木港へ渡るのが一般的になっている。
この小木港から、およそ4~5Km県道45号線を西へ向って走ったところに
宿根木(しゅくねぎ)の集落がある。
観光マップ<朱鷺のいる島・佐渡>によると
――江戸寛文期(1661~1678)に
回船業の集落として発展した「千石船と船大工の里」
狭い入り江の地形に家屋が密集する町並みは、独自の板壁の連続で、
石畳の露地も当時の面影をそのまま残して貴重で・・・――という文面を見つけたのだ。
「是非ここを見たい」・と思った。
「理屈ではない、見たい」・と思ったのだ。
この歳になると、いまさら研究しようなどとは思わないが、見たいという欲望はなんとしても叶えようとする頑固さだけは研ぎ澄まされてきた。
建築士の癖に<理屈ではない、見たいと思った>・とは何だ・とお叱りを受けるかもしれない。
それでも、いたし方無い事実である。
最初に目に飛び込んできたのが、ここの集落とは関係の無い郵便局である。


この雰囲気が好きなのである。
江戸時代の集落の建物に合わせて建てられているところが、何ともいえない日本の情緒とでも云うのだろうか・それが残っている。
この屋根に
<石ころを置いたところから醸しだされている空気>が、たまらないのである。
これは宿根木の集落の案内図です。

こちらは宿根木の海岸。

案内看板の上に1本と左側に3本、
船繋ぎ石があるから(白く見える1m位の柱)、たぶんここから船が出入りしたのに違いない
・・・あくまでも僕の想像の範囲であるが・・・
この海岸の駐車場を兼ねた広場に体験学習館があるが、後から造ったものだろう、建物は新しいので撮影はしなかった。
この広場で見つけた風除けの為の壁だ。

晒(さら)し竹(この壁に使われているうちに、風雨に晒されたのかもしれない)と、
船に使われていた船板が絶妙のバランスを醸(かも)しだしている。
・・・こういうのに惹(ひ)かれちゃうのだ。
古い石畳も窺(うかが)える。

この石畳も、観光マップによると江戸時代からのものだという。


何処かに古(いにしえ)の匂いが漂う空間とでも言えるのかな。
外壁は皆、板張りだ。
これがここの集落の、本来の特徴である。
何度も張りかえられているように感じるけど、火災の類焼にあってもすぐに消失しないように皆30㎜はあるだろうと思えるほど厚い板が使われている。
ちなみに今の基準法でも25㎜以上あれば防火上有効であると認められているから、昔の人はそれを知っていたのか、経験知だったのか・・・
これは集落を高いところから見たものだ。


現代的になった屋根や壁が、随分増えている。
まもなくウイルスに犯されるがごとく、
集落全体が現代的屋根や壁に変わってしまうのだろう・・・残念だ。
「できる限り後世まで残したいものだ」・と思いながら撮影した。
この小木港から、およそ4~5Km県道45号線を西へ向って走ったところに
宿根木(しゅくねぎ)の集落がある。
観光マップ<朱鷺のいる島・佐渡>によると
――江戸寛文期(1661~1678)に
回船業の集落として発展した「千石船と船大工の里」
狭い入り江の地形に家屋が密集する町並みは、独自の板壁の連続で、
石畳の露地も当時の面影をそのまま残して貴重で・・・――という文面を見つけたのだ。
「是非ここを見たい」・と思った。
「理屈ではない、見たい」・と思ったのだ。
この歳になると、いまさら研究しようなどとは思わないが、見たいという欲望はなんとしても叶えようとする頑固さだけは研ぎ澄まされてきた。
建築士の癖に<理屈ではない、見たいと思った>・とは何だ・とお叱りを受けるかもしれない。
それでも、いたし方無い事実である。
最初に目に飛び込んできたのが、ここの集落とは関係の無い郵便局である。
この雰囲気が好きなのである。
江戸時代の集落の建物に合わせて建てられているところが、何ともいえない日本の情緒とでも云うのだろうか・それが残っている。
この屋根に
<石ころを置いたところから醸しだされている空気>が、たまらないのである。
これは宿根木の集落の案内図です。
こちらは宿根木の海岸。
案内看板の上に1本と左側に3本、
船繋ぎ石があるから(白く見える1m位の柱)、たぶんここから船が出入りしたのに違いない
・・・あくまでも僕の想像の範囲であるが・・・
この海岸の駐車場を兼ねた広場に体験学習館があるが、後から造ったものだろう、建物は新しいので撮影はしなかった。
この広場で見つけた風除けの為の壁だ。
晒(さら)し竹(この壁に使われているうちに、風雨に晒されたのかもしれない)と、
船に使われていた船板が絶妙のバランスを醸(かも)しだしている。
・・・こういうのに惹(ひ)かれちゃうのだ。
古い石畳も窺(うかが)える。
この石畳も、観光マップによると江戸時代からのものだという。
何処かに古(いにしえ)の匂いが漂う空間とでも言えるのかな。
外壁は皆、板張りだ。
これがここの集落の、本来の特徴である。
何度も張りかえられているように感じるけど、火災の類焼にあってもすぐに消失しないように皆30㎜はあるだろうと思えるほど厚い板が使われている。
ちなみに今の基準法でも25㎜以上あれば防火上有効であると認められているから、昔の人はそれを知っていたのか、経験知だったのか・・・
これは集落を高いところから見たものだ。
現代的になった屋根や壁が、随分増えている。
まもなくウイルスに犯されるがごとく、
集落全体が現代的屋根や壁に変わってしまうのだろう・・・残念だ。
「できる限り後世まで残したいものだ」・と思いながら撮影した。
2011年11月04日
屋根の美 その8 「新潟市」
これは新潟港から佐渡へ向って出発した、
フェリーの甲板に立っていた男が見つけた対岸の建物である。
勿論名前は知らない。
でも「素敵だな」・・・というインスピレーションが
「カメラのシャッターを押せ」・・・と男に命令した。
男が最初にレンズを向けた建物である。
「これは凄い勾配の屋根を造ったものだ」
「さぞや足場に苦労したのだろうな」
・・・男は最初、極めて普通に眺めていたのだが、そのうちに、
――巨大な<ガンダム>に対抗して
暗闇の世界から降りてきた<金ダム>だ――なんて勝手に命名して楽しみだした。
男は突然<ハイになった>
暫くぶりに海上の動きだした船の上と・いう状況に、童心に返って心が昂ぶっていたのだ。
途轍(とてつ)もなくお金をかけた近代ロボットが、両手を広げてこそいないけど
――行く手を阻止しようと立ちはだかっている――
みたいな雰囲気を味わっていた。
それから男は、すぐ隣に見える建物に視線を移した。
こちらの建物の中央は
<鹿鳴館で踊る着飾った貴婦人>を連想した。
「左右両際は彼女のガードマンだ」
「ベレー帽を頭に載せたガードマンだ」
よく見ると貴婦人は、
「玩具(おもちゃ)の剣玉(けんだま)にも見える」と面白がっていた。
男は建物の屋根について、彼独特の持論があった。
――屋根は、雨水を防ぐもの――という<現実の問題>と、
――屋根は、その建物全体の姿形(すがたかたち)に大きな影響力を持っている、
という<デザイン上の問題>――の二つがある・・・と。
それなのにこの頃の建物、特に住宅では、
「デザイン上の問題が忘れ去られている」と感じていたのだ。
<瓦(かわら)にしようか、鋼板(こうばん)にしようか>・とか
<切妻(きりづま)が良いとか、寄棟(よせむね)にしたい>とか
単純に<素材と形の好き嫌い>を論ずることはあっても、その
<形が持っている影響力>について論じることはほとんど無い。
「なぜか」・・・
はっきりしているのは
「お金が限られている」+「元々考えていない」
・・・という二つの事だ・・・というものである。
でもこの建物は、今時では考えられないほど、
「屋根に・というか全体に・お金が投資されている」
「もの言わぬ建物が、もの言ってる」・・・と<眺めていた>
・・・羨望(せんぼう)の眼で・・・
2011年10月28日
足もとの美「金井町」
今日は――宿根木の部落を見よう――と、
佐渡の<両津やまきホテル>を出たのが午前8:00、
国道350号線を7~8Km走ったでしょうか突然目に飛び込んできたのがこのマンホールでした。

「また、新しいマンホールを見つけちゃった」・と喜んだのは言うまでもありません。
でも今日はまた、別の喜びも感じていたのです。
こちらが撮影現場です。


日曜日だったからでしょうか、それともまだ朝早いのでしょうか、静岡県では考えられないこの道路の交通量です。
・・・磐田バイパスの渋滞に悩まされながら通勤している<ひろさん>・・・
「今日は順調に走れそうだ」・・・という喜びです。
――この道、心底「うらやましい」――<磐田バイパス4車線>早く完成して・・・です。
佐渡の<両津やまきホテル>を出たのが午前8:00、
国道350号線を7~8Km走ったでしょうか突然目に飛び込んできたのがこのマンホールでした。
「また、新しいマンホールを見つけちゃった」・と喜んだのは言うまでもありません。
でも今日はまた、別の喜びも感じていたのです。
こちらが撮影現場です。
日曜日だったからでしょうか、それともまだ朝早いのでしょうか、静岡県では考えられないこの道路の交通量です。
・・・磐田バイパスの渋滞に悩まされながら通勤している<ひろさん>・・・
「今日は順調に走れそうだ」・・・という喜びです。
――この道、心底「うらやましい」――<磐田バイパス4車線>早く完成して・・・です。
2011年10月21日
足もとの美「相川町」
小さな町だと思っていたのです。
ところが佐渡金山の町とでも言うのでしょうか、金山の<道遊(どうゆう)の割戸(われと)>がマンホールの蓋のデザインに採用されているのを発見したのです。
「相川って佐渡金山の町だ!」・・・ってこのときまで、佐渡金山は知っていても、相川町など知る由も無かったと言ったら怒られるかも知れませんが、それが現実でした。
ほんの少し移動しただけだと思っていたのですが、また違ったマンホールを見つけたのです。
こちらは海の上の船でしょうか・・・?
でも良く観るとどちらも「あいかわ」になっています。
冒頭で書いたように、<小さな町>と思っていたところに、こんな素敵なデザインの違う2種類のマンホールの蓋があった・と驚いた次第です
・・・勿論嬉しさは格別です。
2011年10月14日
日本の蔵その9「羽茂町」
日本の蔵その9「羽茂町」
佐渡の《小木港》から《尖閣湾》へ向って国道を走っていました。
突然衝撃が走ったのはこの<裸の蔵>が目に飛び込んできたときです。
この場所で、廃校になってしまった<小村小学校>の案内看板が、右側の道路際にまだ残っているのが目に入りました。
<裸の蔵>と書きましたが<蔵>と言えるのかどうか・?
ひょっとしたら<農作業所>だったのか、
あるいは<蚕などの飼育施設>だったのか、その場へ行ったわけではなく、道路から眺めただけなので本当のことは確認できていません。
たぶん新築されたときは――漆喰か何かで綺麗に仕上げられていたのではないか――と思うのです。
でもいまこの姿は、どう視ても、全ての衣服を脱ぎ去った――好き好んで脱いだわけではありませんが――姿です。
<外部からの鋭い視線に一生懸命耐えている、舞台の上の女性の姿>・・・と見えなくもありません。
エジプトに<赤いピラミッド>と呼ばれて名所になっているところがあります。
それとは比べようも無い、小さな物ですが、
その<惜しげもない素肌>というか<骨格>が、鑑賞に堪えている・というところが、
この小さな土蔵の素敵なところでしょうね。
土とか石とか――飾らなくてもそのものが持っている自然の素材が醸しだす雰囲気――とでも言うのでしょうか・・・
何処かに共通点を感じたのでした・・・(ひろさんは)・・・

