2012年05月14日
「紅葉一家 その-1」
僕は5月12日に発見されました。
特に日付が重要と言うわけではありませんが、僕の兄弟がここ2~3日で結構見つけてもらっているので記録したまでです。
僕の家族の話を、生まれたての僕が出来るのは、人間世界ではたぶんありえない事です。
でも僕らは、家族のDNAが刷り込まれて生まれるので、生まれた瞬間でも何十年も昔の話ができるのです。
この点が人間社会と違うところです。
とにかく、野草の中にひっそりと根を下ろしたのが昨年秋でした。
ほとんどの場合雑草と一緒に抜かれたり、《ひろさん》や狸や猫が平気で踏みつけるので、枯死しちゃうことが多いのです。
今回は《ひろさん》が雑草を丁寧に取り除いて、芽を出したばかりの僕を見つけてくれました。
私もそうです。
<掘り出された兄弟>
僕を見つけてくれたとき、同じように掘り出された僕の兄弟です。
<身体検査>
こうやって掘り出されると移植前の身体検査があります。
毎年と言うわけではないのですけど、気ままな《ひろさん》の目に触れることの出来た兄弟だけが生存していることは確かなことです。
安全なところへ引越しさせてくれました。
ここで2~3年「根を張って雑草に負けない力を付けよ」・と言う《ひろさん》の心遣いです。
<親です>
この木が僕たち兄弟の親です。
画面右側の1mほどの立ってる枯れ木は、5~6年前枯れて、《ひろさん》が切り倒した親の兄弟です。
中央に横たわっているのは、その時切り落とされた幹です。
「俺たちはいつこのようになるか予測がつかない、だから皆頑張って根を張れ」・・とご先祖様が自らの姿を晒すことで、僕たちを激励してくれているのだ・と兄さん達が言いました。
僕たちが芽を出すと同じ頃、親は来年の準備を始めていました。
このピンクの可愛い奴が、秋には種として周囲に飛んでいくのです。
そして運がよければ5月ごろ芽を出して、僕の弟になります。
現在僕の家族は親を含めて58本で、もしかしたら今が最盛期かも・・・
今年の兄弟が、どれだけ残って成長するかによってまた違ってきますけど・・・
次回は成長した兄たちを紹介します。
2012年05月11日
「風蘭のつぶやき」
私達のご主人様は、なかなか厳しい人です。
厳しいと言うより鈍感なのでしょうか、私達がお腹を空かしていてもちっとも気付いてくれません。
肥料を頂いたのは気が遠くなるほど昔です。
喉が渇いたという声だけは何とか通じているようで、時々水を掛けてくれます。
それも、水をくれるのは、ほとんど奥様ですけど・・・
へそを曲げて、今年は花を咲かすことを止めよう・か・と思うことも多々ありますが、
私達が花を咲かせた姿を見たときだけは、真に単純で幼い子供のように喜びます。
その喜びの顔を見ると、日ごろの恨みを忘れてまた咲いちゃうのです。
つまらない性格だと言われるかも知れませんね・・・
でも今日(5月11日)の朝、久しぶりに姿を見せたご主人様が、私達をカメラに納めてくれました。
・・・見て下さい・・・
素焼きの鉢に植えられて、ウッドデッキの下に、ポイと置かれている私達です。
少しはお化粧でも・と思うときも無い訳ではありませんが、今日はまだスッピンです。
2
3
4
UPにしてもらったのですけど、少し見直していただけましたでしょうか・?
・・・日陰に置かれている風蘭でした・・・
2012年05月09日
《朴(ほお)の花と蕾(つぼみ)》
わが家にはいつの頃からかは不明ですが、結構大きな《朴(ほお)の木》があります。
あまり大きくなったので、何年か前に一度半分ぐらいに切り詰めたことがあります。
でも樹精が強かったのか、今はまた元通りの背丈に伸びて丁度見頃です。
葉っぱは《朴葉(ほおば)味噌》に使われることで知られていますが、冬になるとこの枯葉が周囲に落ちてくるのが若干気になります。
でも新緑の頃の葉は、誠に綺麗で気が休まります・・・と言うわけで紹介することにしました。
<朴の木>
これは木全体を写したものです。途中で太さの変化しているところが一度選定した場所です。
<花と蕾み>
<花と蕾み>の全体像が、何となくお分かりいただけるかな・・・
<蕾み>
まだ硬いつぼみです
<蕾-2>
少し膨らんできたつぼみです
こちらは開花した花です
いずれも白い花です。
少し木蓮の花にも似ているかな・・・?
僕は葉っぱの緑がたまらなく好きです・・・個人的な話ですが・・・
2012年05月05日
《鯉》
《鯉》・と言うと《鯉のぼり》の季節ですが、本日は《鯉のぼり》でない《鯉》の話です。
「ロープウェイに乗ろうよ・・・」誰かが発言すると
「行こう、行こう・・・」
話がまとまるのは早い4人組でした。
というわけで下田の寝姿山に、ロープウェイで登りました。
なんと、頂上の小さな池に珍しい《鯉》が飼われていました。
《珍しい》というけど、何処が・・?
と言う方は、チョットこの《鯉の胸ビレ》をご覧ください。
<鯉-1>
こちらは普通の《鯉》と並んで泳いでいますので、より胸びれの大きさが解かるでしょう。
<鯉-2>
「大きいでしょう・・・」
・・・こんな《鯉》がいるんですね・・・
こちらは展望台から見た眼下の風景です。
<ヨット>
眼下に見える白いヨットの群れが、どこかで見た風景画に思えました。
「そうだ思い出した・確かモネだ・・・」
帰宅したとき早速モネの画集を開きました。
「ありました」
1866年 《サン・タドレスのテラス》・とタイトルがついていました。
勿論ここはサン・タドレスではないから全く同じと言うわけではありません。
だがここの風景を見たとき、この絵に描かれている海に浮かぶヨットや蒸気船が、僕の頭の中で繋がったのです。
<全然違ってるジャン・と言う方はそれで良いのだ・・・>
・・・モネの絵にない長閑さはこの風景の方が上かな・・・
・・・人は十人十色だから、サテ・如何かな・・・
2012年04月23日
「咲いた、咲いた―2」
咲いた、咲いた・・・今度も桜で無くて我が家のシンビジュームです。
本日雨間に外へ出てみました。
数年前に地べたに移植しておいたシンビジュームが、見事に満開です。

鉢植えの手入れをするのが面倒で、地べたに移植したのですが、やっぱり手入れしませんでした。
「継子扱いも酷いものだ」・・・と花が呟くのが聞えるようです。
でも、へそ曲がりに成長しないで、可憐なに花を咲かせてくれました。


「よかった」・・・と言うわけで紹介します。
本日雨間に外へ出てみました。
数年前に地べたに移植しておいたシンビジュームが、見事に満開です。
鉢植えの手入れをするのが面倒で、地べたに移植したのですが、やっぱり手入れしませんでした。
「継子扱いも酷いものだ」・・・と花が呟くのが聞えるようです。
でも、へそ曲がりに成長しないで、可憐なに花を咲かせてくれました。
「よかった」・・・と言うわけで紹介します。
2012年04月20日
「咲いた・咲いた・・・」
「咲いた・咲いた・・・」というと、この時期は「桜が咲いた」ということになるのが日本では一般的でしょう。
<写真1>
だがこれは桜で無く、我が家の「紅花マンサク」が咲いた写真です。

2012.4.20撮影の満開の紅花マンサクです。
<写真2>
三連で撮影してみました。

<写真3>
こちらは2009.10.30撮影の同じ紅花マンサクです。

比べてみるとこの3年間に、随分とボリュームが増えています。
それだけでなく「おや・?」と思われた方がおありかと思いますが、お分かりでしょうか?
そうです、この花は一年に二度花をつけるのです。
チョット嘘っぽいですが、本当です。
<写真1>
だがこれは桜で無く、我が家の「紅花マンサク」が咲いた写真です。
2012.4.20撮影の満開の紅花マンサクです。
<写真2>
三連で撮影してみました。
<写真3>
こちらは2009.10.30撮影の同じ紅花マンサクです。
比べてみるとこの3年間に、随分とボリュームが増えています。
それだけでなく「おや・?」と思われた方がおありかと思いますが、お分かりでしょうか?
そうです、この花は一年に二度花をつけるのです。
チョット嘘っぽいですが、本当です。
2012年04月20日
足もとの美「下田」
町内の親しくしている4人組で《熱川温泉》へ旅行したことがあります。
2006年11月のことです。
途中立ち寄ったのが《玉泉寺》です。
<写真玉泉寺>

特別ここへ立ち寄ろうという計画ではなかったのですが、時間の都合でたまたま立ち寄ってみたら、それが《玉泉寺》だったというしだいです。
駐車場から寺の山門へ足を運んでいるとき、このマンホールを見つけました。
<写真マンホール>

鎖国していた日本に
「国を開いて取引しようぜ・」と言ったかどうかは解かりませんが、
幕府を揺さぶったことは間違いない「黒船」がデザインされていました。
2006年11月のことです。
途中立ち寄ったのが《玉泉寺》です。
<写真玉泉寺>
特別ここへ立ち寄ろうという計画ではなかったのですが、時間の都合でたまたま立ち寄ってみたら、それが《玉泉寺》だったというしだいです。
駐車場から寺の山門へ足を運んでいるとき、このマンホールを見つけました。
<写真マンホール>
鎖国していた日本に
「国を開いて取引しようぜ・」と言ったかどうかは解かりませんが、
幕府を揺さぶったことは間違いない「黒船」がデザインされていました。
2012年04月12日
新東名
新東名高速道路の開通がもうすぐになりました。
《探偵ごっこ》の一回目に紹介したとおりいろいろな写真が出てきたのですが、これもこのとき出てきた写真です。
2001.9.2日に撮影した、新東名高速道路の工事現場の写真です。
何気なく撮影したものですが、今見ると「やっぱり凄い」です。
<写真 A>
天竜川の東側でみたものですが、この巨大なコンクリートの塊が、路面を支える橋脚です。

<写真 B>

路面を支える橋梁を、橋脚の上部から造り始めています。
<写真 C>
橋脚の上部から始まった橋梁と一体化した路面が、連続繋がった姿です。

<写真 D>

宙に浮いているように見えるのは、巨大な吊足場と言うのか、せり出し足場と言うのか・・・兎に角凄い。
<写真 E>

連続した橋梁を見ているときは《凄く巨大な梁》だと思っていたのですが、意外とその実態は大きな空洞でした。
<写真 F>
断面をアップにしてみました。

出来上がったら知らないで終わるだろうことがここにはあります。
信号通信や排水などの配管とかが通過するスリーブが、こんなに必要なのかと言う驚きです。
<写真 G>
さらに接続部をアップにしてみました。

無数の鉄筋と鉄筋の間のコンクリート面が、綺麗に目荒らししてあります。
「流石!」大手のゼネコンだけある・手抜きはしないなと感服しました。
<写真 H>
もう一度せり出し足場を見てみましょう。

①鉄筋と型枠を同時平行して組み上げる
②コンクリートの打設
③強度が出るのを待って脱型
その次はまた、足場をせり出して最初から繰り返す。
気の長い話に見えるけど、確実に前進するところは凄いと言うほか無い。
<写真 I>
まもなくドッキングですね。

このとき私の中に一つの疑問が湧きあがった。
・・・型枠だ・・・
全部繋がったときの内部の型枠はどうなるのだろう。
「埋め殺しか」・・・(解説:永久にコンクリートの空洞の中に放置されること)
<写真 J>

その疑問は、スラブに空いた小さな穴に、梯子が掛っているのを見つけたこの写真で解決しました。
「埋め殺しではない」・と確信できた。
だが新たな疑問がまた湧いた。
「スラブの穴は開通するためには何時か埋めるだろう」
・・・その後は(型枠だけでなく)どうなるのか。
配管等のメンテナンスは絶対必要になるはずだ。
では何処から入るのか・・・
10年7ケ月前から、僕の中ではいまだにミステリーなのだ。
「まあ、そんなことはどうでも良いじゃないか」・という声が突然聞えた。
・・・確かに、安心して走れて、渋滞が無ければ・・・の、話ですけど・ネ。
《探偵ごっこ》の一回目に紹介したとおりいろいろな写真が出てきたのですが、これもこのとき出てきた写真です。
2001.9.2日に撮影した、新東名高速道路の工事現場の写真です。
何気なく撮影したものですが、今見ると「やっぱり凄い」です。
<写真 A>
天竜川の東側でみたものですが、この巨大なコンクリートの塊が、路面を支える橋脚です。

<写真 B>

路面を支える橋梁を、橋脚の上部から造り始めています。
<写真 C>
橋脚の上部から始まった橋梁と一体化した路面が、連続繋がった姿です。

<写真 D>

宙に浮いているように見えるのは、巨大な吊足場と言うのか、せり出し足場と言うのか・・・兎に角凄い。
<写真 E>

連続した橋梁を見ているときは《凄く巨大な梁》だと思っていたのですが、意外とその実態は大きな空洞でした。
<写真 F>
断面をアップにしてみました。

出来上がったら知らないで終わるだろうことがここにはあります。
信号通信や排水などの配管とかが通過するスリーブが、こんなに必要なのかと言う驚きです。
<写真 G>
さらに接続部をアップにしてみました。

無数の鉄筋と鉄筋の間のコンクリート面が、綺麗に目荒らししてあります。
「流石!」大手のゼネコンだけある・手抜きはしないなと感服しました。
<写真 H>
もう一度せり出し足場を見てみましょう。

①鉄筋と型枠を同時平行して組み上げる
②コンクリートの打設
③強度が出るのを待って脱型
その次はまた、足場をせり出して最初から繰り返す。
気の長い話に見えるけど、確実に前進するところは凄いと言うほか無い。
<写真 I>
まもなくドッキングですね。

このとき私の中に一つの疑問が湧きあがった。
・・・型枠だ・・・
全部繋がったときの内部の型枠はどうなるのだろう。
「埋め殺しか」・・・(解説:永久にコンクリートの空洞の中に放置されること)
<写真 J>

その疑問は、スラブに空いた小さな穴に、梯子が掛っているのを見つけたこの写真で解決しました。
「埋め殺しではない」・と確信できた。
だが新たな疑問がまた湧いた。
「スラブの穴は開通するためには何時か埋めるだろう」
・・・その後は(型枠だけでなく)どうなるのか。
配管等のメンテナンスは絶対必要になるはずだ。
では何処から入るのか・・・
10年7ケ月前から、僕の中ではいまだにミステリーなのだ。
「まあ、そんなことはどうでも良いじゃないか」・という声が突然聞えた。
・・・確かに、安心して走れて、渋滞が無ければ・・・の、話ですけど・ネ。
2012年04月09日
《カサミラ》
スペイン旅行をした(1992年)とき、ガウディーの《サグラダファミリア》はツアーのコースに含まれていた。でも当時の僕は、どちらかと言うと《カサミラ》を一目見たかったのに、《カサミラ》は外れていたのだ。
残念と思う一念は、執念と変わった。
それからホテルへ入ってすぐに、同行者と行動を別にすることを決断した。
一人になった僕は地図を頼りに、ペンタックスの一眼レフと共に身長159センチの小さな身体でここまで歩いたのである。
この前にたどり着いたとき、やけに胸が躍った。
――スクリーンの中の憧れの女優と二人きりになったみたいである――そんなわけ無いのであるが担いでいたカメラの重さを忘れていた。
今振り返ってみると、もしかしたらスピルバーグは、《カサミラ》のこの屋上を見て、スターウォーズを考え付いたのかもしれない・と言ってみたくなるほどだ。
はたして、Mr. スピルバーグはなんと答えるだろうか・?
――何故こんな手摺が出来るのか・?――
たぶん《建築基準法なるものが無かった》・時代だからである。
――法律は、美を育(はぐく)むことは無い――
これを見て、日本の公団住宅などを見るとそう感じる。
――安全とデザインの問題をどう考えるか――と言うことに行き着くのかもしれないが、わが国では基準法なるものが優先して戦後の時代を創って来た。
そんな基準法の無かった時代の古建築には、随分と素晴らしい手摺がある。
それは《危険防止》でなく、《危険表示》であった。
ここを
・・・越境すると、危険ですよ・・・
そして
・・・事故ル・かもしれませんよ・・・
・・・事故は、貴方の責任ですよ・・・
という無言の意思表示であった。
そして人々はそれをよく《理解していた》のだ。
手摺は、基準法が出来た事で《危険表示》から《危険防止》に変わった。
「どうして・・・」という疑問が湧く。
落ちると言う事は、本来それを利用する人の《自己責任》が大きいはずだ。
ところが責任のあり方が《内から外へ》向けられる巨大なモンスターと化してしまった。
たぶんそこは《基準法は誰の為の物か》と言うことにも、少なからず関係するのだ。
《利用者の為の基準法》ではなくて、ひょっとしたら《役人の為の基準法》と取れなくも無い。
兎に角、モンスターと化した《責任追っつけ人類》に、対抗する為の手段が必要になったことは確かである。
事故が発生したとき《貴方に責任があります》と言えないのである。
だから《基準法に適合している》・《いない》と言う議論で片付ける方を選択したのだ。
そして――役所の責任ではない――と言う為の《特効薬》として、効力を発揮した。
だが同時に、自己責任の範疇で留めるべき所を乗り越えたが故に、特効薬はモンスターをさらに巨大化する麻薬と化してしまったのだ。
我々は、その事を見逃してきたのだ。
・・・などと言うフィクションドラマが頭の中を駆け巡っていた。
やっぱり――何故こんな手摺が出来るのか・?――
というレベルに戻って、しばしの間見とれていた。
・・・《ひろさん》でした・・・(これは本当)
2012年04月03日
佐渡金山
この写真は佐渡金山の入り口です。

ここから坑道へ入る前に、
兎に角生理状態を整える必要があって立ち寄ったところで僕の目が留まったのがこの柱脚です。

仕上げは人造石研出しですが、
やっぱりというかアンカーボルトの有無が気になりました。
外部から見た限りではありません。
でも、内部にボルトがあって、接着剤で固定しているのかもしれません。
まったく無いかもしれません。
小壁(白い壁)の土台を固定して、その土台を伸ばして柱を固定しているのかも・・・
柱を直接固定することは省略しているかも・ネ。
こちらは柱頭です。

柱の位置と桁の位置をあえてずらしたのでしょうが、
どうしてずらす必要があったのか・などと考えるのもまた楽しい。
これはトイレから坑道入り口まで、雨や雪に邪魔されずに行ける渡りの屋根です。

梁間方向・桁行き方向共に筋交いが無いのが少し気になったけれど、
梁の架け方は面白い。
加えて横方向の水平力に対処する為に取り付けられたと思える
――片側しか無いバットレス――
<足場の追っかけ>とか
<つっかい>とかの役割と同じもの・も面白い。
よく見ると、ナグリ仕上げをしています。
これを見ると、意外とここに拘っているのかも・・・
・・・設計者がこのとき何を考えていたか・・・を推察するのも結構楽しいものです。
ここから坑道へ入る前に、
兎に角生理状態を整える必要があって立ち寄ったところで僕の目が留まったのがこの柱脚です。
仕上げは人造石研出しですが、
やっぱりというかアンカーボルトの有無が気になりました。
外部から見た限りではありません。
でも、内部にボルトがあって、接着剤で固定しているのかもしれません。
まったく無いかもしれません。
小壁(白い壁)の土台を固定して、その土台を伸ばして柱を固定しているのかも・・・
柱を直接固定することは省略しているかも・ネ。
こちらは柱頭です。
柱の位置と桁の位置をあえてずらしたのでしょうが、
どうしてずらす必要があったのか・などと考えるのもまた楽しい。
これはトイレから坑道入り口まで、雨や雪に邪魔されずに行ける渡りの屋根です。
梁間方向・桁行き方向共に筋交いが無いのが少し気になったけれど、
梁の架け方は面白い。
加えて横方向の水平力に対処する為に取り付けられたと思える
――片側しか無いバットレス――
<足場の追っかけ>とか
<つっかい>とかの役割と同じもの・も面白い。
よく見ると、ナグリ仕上げをしています。
これを見ると、意外とここに拘っているのかも・・・
・・・設計者がこのとき何を考えていたか・・・を推察するのも結構楽しいものです。
2012年03月29日
弥彦神社の鳥居
少し霞んで見えますが、これは早朝〈名代家旅館〉の前から見た《弥彦神社の鳥居》です。
この鳥居が真に珍しい・ということを知ったのは、
客室にあった《子供たちが作った一枚のワクワクマップ》なるものを読んだからでした。
ピントが合わないでピンボケ写真になっちゃいました・・・残念。
要約すると「柱が浮いている」・・・と書いてあったのです。
「そんな馬鹿な・」・・・というのがその時の偽らざる気持ちでした。
――こんな大きな鳥居の柱が浮いている――などと言うのは「やっぱり子供だな」・・・と言う先入感が、僕を鳥居のところまで行かせなかったのかな・・・と今深く反省しています。
駐車場から帰路に着くとき、チョット下をのぞいて見ました。
確かに浮いているのです。
中心に50ミリ程度の丸い棒状のダボがあって横揺れを防止しているけど、鉛直荷重を受けるべき柱は確かに浮いていたのです。
写真を失敗しちゃった――悔やまれるけど自分のミスなので、誰にも当たる事ができない――ので、僕の目で確かめたものを図面化しました。
<写真 鳥居正面図>

<写真 鳥居断面図>

鳥居の主柱が腐朽して修理することを考えると、控え柱を取り替えるほうが手軽だ・・・と考えたのでしょうけど、きわめて珍しい事例だと思います。
同時に柔軟な頭脳の持ち主が居たものだ・と心底感心したものです。
・・・もう少し《ゆったりとした旅行》を心がけるべきだ・と、いつも帰宅してから思うのですが
《先を急ぐ性格》はいまさら直らないみたいで、誠に残念・・・
「やっぱり、写真でお見せしたかった」・・・ごめんなさい。
来週は佐渡金山で見た<渡り廊下>の予定です・・・(無断変更あり)
2012年03月23日
「蛸(たこ)欅(けやき)」
<写真 欅1>
<写真 欅2>
左下の赤っぽい表示板にこの木の説明がありました。
それによると
・・・弥彦神社末社 住吉神社大欅(けやき)
新潟県天然記念物 昭和27年12月10指定
この大欅は、樹齢およそ千年、樹高30M、胴回り8M余りの巨木である。
大枝を延ばして立つ姿は、大蛸が8本足を広げている様子に似ているところから、
昔から蛸欅と呼ばれている・・・
と書いてありました。
<写真 欅3>
腐朽防止の為でしょう、枯れた枝は切断されて切断面が処置されています。
少し昔(戦後と言うほうが適当かな)の力士にチョクチョク見られた、黒い膏薬みたいで、何とも凄さを感じました。
特別斬新だというわけではないのだけれど、路地に入るところにこんな案内板がありました。
画面の右奥にかすかに赤く見えるのが、ここ弥彦村の 《弥彦神社の鳥居》 です。
<写真 案内板>
取り立てて論じるほど素敵だと言う訳でもなかったのですが、意外と目に付いたのです。
これを見たとき、看板のデザインも大事なことだけれど、立てられる場所にマッチしているかどうかの方が、より大事かも・・・と改めて感じたしだいです。
来週は 《弥彦神社鳥居》 の予定です・・・
2012年03月21日
「新幹線」
昨日3月20日、上空は青空だった。
「よし、チョット歩くか」
そう自分に言い聞かせたのには、富士山が見えるかもしれないという期待感があったからだ。
伊場遺跡のすぐ西側に、鉄道の弧線橋がある。
ここを車で通るとき、富士山が見えることがあるのだ。
だが弧線橋の上まで歩いて来ては見たが、本日は「残念」
アクトタワー辺りまでのビルは良く見えるのだが、その向こうに見えるはずの山並みは、霞んだ空の中に溶け込んで姿形は皆無であった。
帰ろうとすると下り新幹線が通過した。
「よし、これを撮ろう」
突然チャンスが舞い降りてきた・と感じたが、あっという間に通り過ぎちゃった。
「よし、次を待つぞ」
短気な《ひろさん》が、カメラマンの心境に近づいた瞬間でもあった。
それほどワクワクした。
まもなく大阪方面への下り列車が、落下防止の金網越に見えた。
カメラを構えられる場所は、歩道が付いている西側だけである。
通過したところを撮るしかないが、見えない。
列車の走る音に耳を集中する。
タイミングがつかめない。
〈写真下り1〉

「あっ、まだ早い・・・」
〈写真下り2〉

「まだだ・・・」
「今度はどうだ」
〈写真下り3〉

「何とか捕まえた」
・・・とは言っても、若干トリミングしたのである。
素人の《ひろさん》では、シャッターがほとんど遅れてしまうのだ。
今度は高塚駅方面から来る上りが見えた。
「よし、これならバッチリだ」と構えたが
〈上り-1〉

「今度は早すぎた」
これはトリミングしてもまだ絵にもなら無い。
やっとキャッチしたのがこれだ。
〈上り-2〉

帰ろうとしたらまた来た。
〈上り-3〉

今度は横からの姿だ。
たったこれだけのことだけれど、凄く興奮した。
気がついたら、中学生位の男の子が一人一眼レフをぶら下げて、僕のすぐ横に立っていた。
「凄いじゃン・望遠レンズかね」と声をかけたら、ニット笑いながら頭を下げて立ち去った。
「あの微笑みは何だったのか・・・」
「おじさん、そんなカメラじゃ無理だよ」・・・とでも言いたかったのかな・なんて少し頭を過ぎったが、
「彼もカメラマンを目指しているのに違いない」・と考えたら、心底微笑ましくなった。
・・・それがこの日の、一番の収穫であった・・・
「よし、チョット歩くか」
そう自分に言い聞かせたのには、富士山が見えるかもしれないという期待感があったからだ。
伊場遺跡のすぐ西側に、鉄道の弧線橋がある。
ここを車で通るとき、富士山が見えることがあるのだ。
だが弧線橋の上まで歩いて来ては見たが、本日は「残念」
アクトタワー辺りまでのビルは良く見えるのだが、その向こうに見えるはずの山並みは、霞んだ空の中に溶け込んで姿形は皆無であった。
帰ろうとすると下り新幹線が通過した。
「よし、これを撮ろう」
突然チャンスが舞い降りてきた・と感じたが、あっという間に通り過ぎちゃった。
「よし、次を待つぞ」
短気な《ひろさん》が、カメラマンの心境に近づいた瞬間でもあった。
それほどワクワクした。
まもなく大阪方面への下り列車が、落下防止の金網越に見えた。
カメラを構えられる場所は、歩道が付いている西側だけである。
通過したところを撮るしかないが、見えない。
列車の走る音に耳を集中する。
タイミングがつかめない。
〈写真下り1〉
「あっ、まだ早い・・・」
〈写真下り2〉
「まだだ・・・」
「今度はどうだ」
〈写真下り3〉
「何とか捕まえた」
・・・とは言っても、若干トリミングしたのである。
素人の《ひろさん》では、シャッターがほとんど遅れてしまうのだ。
今度は高塚駅方面から来る上りが見えた。
「よし、これならバッチリだ」と構えたが
〈上り-1〉
「今度は早すぎた」
これはトリミングしてもまだ絵にもなら無い。
やっとキャッチしたのがこれだ。
〈上り-2〉
帰ろうとしたらまた来た。
〈上り-3〉
今度は横からの姿だ。
たったこれだけのことだけれど、凄く興奮した。
気がついたら、中学生位の男の子が一人一眼レフをぶら下げて、僕のすぐ横に立っていた。
「凄いじゃン・望遠レンズかね」と声をかけたら、ニット笑いながら頭を下げて立ち去った。
「あの微笑みは何だったのか・・・」
「おじさん、そんなカメラじゃ無理だよ」・・・とでも言いたかったのかな・なんて少し頭を過ぎったが、
「彼もカメラマンを目指しているのに違いない」・と考えたら、心底微笑ましくなった。
・・・それがこの日の、一番の収穫であった・・・
2012年03月16日
新米監督の頃
《探偵ごっこ》の一回目に・・・そもそも己の記憶が衰え(おとろえ)ているので云々・・・と書いたけど、このとき思いがけない写真が出てきました。
<写真 アラン・ラッド>

スケッチブックを処分する前に、何故かチョットだけ後ろ髪を惹かれたのですね・写真に撮っていた・・・若かったんです。
<写真 モーリン・オハラ>

<写真 ドリス・デイ>

勿論、正真正銘、僕の手書きです。
1957.4月のサインがあるから、高校を卒業して現場監督見習いとして社会にデビューした55年前の話になります。
「今日は映画を見るぞ」
仕事を終わると、自転車に飛び乗る。
まず映画館前の酒屋に飛び込む。
パチンとカウンターに小銭を置いて「お酒」・と言う。
小皿を敷いたコップにお酒が注がれて、溢れるのを素早く口を寄せて啜(すす)る。
皿に溢れた奴をコップに移す。
「クー」
一気に飲み込んで「お替り」
またパチンと銭を置く。
棚に戻りかかった一升瓶が、再び黙って近づく。
そしてコップが満たされる。
「クー」
同じことが繰り返される。
この間、ものの1~2分の出来事である。
「ご馳走さん」
それから、三角の袋に入った塩豆を1袋手にして、映画館に飛び込む。
映画の進行と平行して程よい酔いが訪れる。
映画館を出るときは何時も、スクリーンの中の主人公・・・すなわちスターになりきっていた。
<写真 ジョン・ウェイン>

ルンルン気分で自転車を駆って家路に着く。
すれ違った4~5人の男と接触した。
「このやろう」と罵声が投げつけられる。
無視して通り過ぎれば良いものを、わざわざ降りて「何だ」と応戦する――このときリチャード・ウィドマークやジョン・ウェインになりきっているのだ――酔いの所為もあるがスターは銀幕の中だけで、現実は甘くは無い。
翌朝、擦過傷と打撲で変色した顔で、出社する。
冷たい目線の一斉攻撃を浴びる。
今考えると随分いい加減な生活をしていたものだ・というのが走馬灯のように蘇った。
見たい映画が来ると最終上映に間に合うように、朝から現場の遣り繰り段取りをする。
この頃、映画は休日に見に行くものだ・と言う考えを全く思い付かなかったからである。
当時の会社は休みが決まっていた訳でもなく、休むのは現場の工程進捗状況次第と言うのが当たり前であった。
そんな中で《映画と酒》というと、それ自体が映画のタイトルに成りそうだけど、気分転換には役立っていた。
当時月額3万5000円の給料だった。
勿論残業手当も休日出勤手当ても込みの話だ。
と言うわけで、しょっちゅう映画を見ると言うわけにも行かないから、《映画週報》だったか《映画何とか》の雑誌の写真を見ながら、憧れていた映画スターに近づきたいと考えていたのである。
<写真 ジェイムズ・スチュアート>

<写真 ジェイムズ・ギャグニー>

それが、こんな絵を描くことにエスカレートした。
一見 <建築現場監督> という仕事と関係の無いようなことが、社会に巣立ったばかりの少年・・・もちろん若かりし折の <おーじ> こと <ひろさん> の事である・・・の大人の世界から受けるプレッシャーに負けない免疫を、育んだのかも知れない。
・・・《そういう時代があった》事を思い出した写真である・・・
今見ると可也幼稚なこの絵を見て
「全然似てないジャン」・という一声を残した妻が居たことを付記しておきます。
<写真 アラン・ラッド>

スケッチブックを処分する前に、何故かチョットだけ後ろ髪を惹かれたのですね・写真に撮っていた・・・若かったんです。
<写真 モーリン・オハラ>

<写真 ドリス・デイ>

勿論、正真正銘、僕の手書きです。
1957.4月のサインがあるから、高校を卒業して現場監督見習いとして社会にデビューした55年前の話になります。
「今日は映画を見るぞ」
仕事を終わると、自転車に飛び乗る。
まず映画館前の酒屋に飛び込む。
パチンとカウンターに小銭を置いて「お酒」・と言う。
小皿を敷いたコップにお酒が注がれて、溢れるのを素早く口を寄せて啜(すす)る。
皿に溢れた奴をコップに移す。
「クー」
一気に飲み込んで「お替り」
またパチンと銭を置く。
棚に戻りかかった一升瓶が、再び黙って近づく。
そしてコップが満たされる。
「クー」
同じことが繰り返される。
この間、ものの1~2分の出来事である。
「ご馳走さん」
それから、三角の袋に入った塩豆を1袋手にして、映画館に飛び込む。
映画の進行と平行して程よい酔いが訪れる。
映画館を出るときは何時も、スクリーンの中の主人公・・・すなわちスターになりきっていた。
<写真 ジョン・ウェイン>

ルンルン気分で自転車を駆って家路に着く。
すれ違った4~5人の男と接触した。
「このやろう」と罵声が投げつけられる。
無視して通り過ぎれば良いものを、わざわざ降りて「何だ」と応戦する――このときリチャード・ウィドマークやジョン・ウェインになりきっているのだ――酔いの所為もあるがスターは銀幕の中だけで、現実は甘くは無い。
翌朝、擦過傷と打撲で変色した顔で、出社する。
冷たい目線の一斉攻撃を浴びる。
今考えると随分いい加減な生活をしていたものだ・というのが走馬灯のように蘇った。
見たい映画が来ると最終上映に間に合うように、朝から現場の遣り繰り段取りをする。
この頃、映画は休日に見に行くものだ・と言う考えを全く思い付かなかったからである。
当時の会社は休みが決まっていた訳でもなく、休むのは現場の工程進捗状況次第と言うのが当たり前であった。
そんな中で《映画と酒》というと、それ自体が映画のタイトルに成りそうだけど、気分転換には役立っていた。
当時月額3万5000円の給料だった。
勿論残業手当も休日出勤手当ても込みの話だ。
と言うわけで、しょっちゅう映画を見ると言うわけにも行かないから、《映画週報》だったか《映画何とか》の雑誌の写真を見ながら、憧れていた映画スターに近づきたいと考えていたのである。
<写真 ジェイムズ・スチュアート>

<写真 ジェイムズ・ギャグニー>

それが、こんな絵を描くことにエスカレートした。
一見 <建築現場監督> という仕事と関係の無いようなことが、社会に巣立ったばかりの少年・・・もちろん若かりし折の <おーじ> こと <ひろさん> の事である・・・の大人の世界から受けるプレッシャーに負けない免疫を、育んだのかも知れない。
・・・《そういう時代があった》事を思い出した写真である・・・
今見ると可也幼稚なこの絵を見て
「全然似てないジャン」・という一声を残した妻が居たことを付記しておきます。
2012年03月15日
土筆(つくし)(2012.3.15木曜日)
昨夜右の腰に痛みが走った。
思い当たることは《運動不足》に尽きる。
「少し歩くか・・・」と今朝起きて言い聞かせた。
久しぶりに堀留川の土手を見ながら、伊場遺跡へ出かけた。
風邪は冷たかったが歩いているうちに身体が火照って来た。
余裕が生まれると周りが目に入る。
「おっ・土筆(つくし)だ・・」
何ともオゾマシイ話であるが、食べるものが無かった子供の頃の習性とでも言うのか、土筆を見ると《春を感じる》前に《食べられる》と言う《食卓の上》の情景が脳裏を支配してしまうのである。
これが摘み取ってきた土筆
こちらが整理して取り外した袴
これが今夜のつまみになる調理前の土筆
何とも風情の無い話になっちゃいました・・・ごめんなさい。
勤めていたエフ・ベースさんの杉谷の事務所のとき、昼休みに孫たち――僕が勝手にそう呼んでいるだけで、本当は社長さんのお子さん達である――と、時々摘んだことがつい昨日のようにまぶたに蘇ってきた。
2012年03月12日
春の息吹<蕗(ふき)の新葉>
今日(3月12日 AM8:30)、少し白いものがチラホラ舞う。
寒がりの〈おーじ〉には堪える気象状態であるが、山へ置いてきた脚立を取りに行った。
ついでに、昨年暮れに移植した蕗の様子を見る。
嬉しいことに今年も新しい葉が育っている。
(写真は僕が育てている・蕗畑)

大きく見える方は毎年のことだから当たり前に思っていたが、移植したものも活着してそれなりに小さな新葉を出してくれた。
この分なら、今年もご近所の人にお裾分け出来そうだ・とワクワクしたら寒さを忘れた。
寒がりの〈おーじ〉には堪える気象状態であるが、山へ置いてきた脚立を取りに行った。
ついでに、昨年暮れに移植した蕗の様子を見る。
嬉しいことに今年も新しい葉が育っている。
(写真は僕が育てている・蕗畑)
大きく見える方は毎年のことだから当たり前に思っていたが、移植したものも活着してそれなりに小さな新葉を出してくれた。
この分なら、今年もご近所の人にお裾分け出来そうだ・とワクワクしたら寒さを忘れた。
2012年03月09日
探偵ごっこ「佐鳴湖今昔その3」
前回に続いて佐鳴湖の今昔です。
今回は東岸の埋め立てられたこの景色の現在を見つけ出そうと頑張りました。

植えつけられた芝生の滑らかなスロープの先で、釣りをしている人が何とも長閑(のどか)な雰囲気を醸し出しています。
右前方のゴチャゴチャ見えるのは、小藪辺りの家だと思います。
今回の結論を言うと、僕の《探偵ごっこ》は不調に終りました。
たぶん画面前方の景色から判断すると、この辺りではないかと推測したのですが、
折角綺麗なスロープが出来ていたところを再度掘り返して、このような湿地帯を造ったのだろうか・という疑問が解消できなくて納得できないのです。
南の駐車場からここまで、東岸の遊歩道をおよそ1Km注意深く歩いてきたのですが、この辺りで足が止まるのです。
でも樹木の配列など「チョット・・・」と言うことが多いです。
地形から推測すると、ここへ戻るのだが・・・
「この湿地帯を作るために、あの見事なスロープの土砂のほとんどを、何処かへ移動したのかな・・・」
そんな疑問がやっぱり離れません。
「見落としている物があるはずだ」
「樹木はその生長を推測するべきだ」
「伐採されて根っこだけのものは、その伐採前を想像せよ」
「縁石はたぶん動いていないだろう」
「いや、意外と動かされているかもしれない・・・」
「もっと細心の注意力を駆り立てて、探せ」・という内なる声が激を飛ばします。
一方で、「俺は名探偵でない、迷探偵だ」・・・と見つからない事はやむをえん、と簡単に自分を慰めて納得しちゃった・と言うのが結論です。
こちらは、湖水を浄化しています。
日夜佐鳴湖の水質改善に休むことなく稼動している、こんな浄化装置が設置されていたという事実を知りました。
――初期の目的は果たせなかったけど今回の《探偵ごっこ》はこれでお終いで・ス――
次回は、来週の <木曜日か金曜日> の予定です・・・
2012年03月02日
探偵ごっこ「佐鳴湖今昔その2」
こちらも撮影した日付は1994.10.10日です。
湖底に溜まったヘドロを浚渫(しゅんせつ)して、何処かへ処理する前の脱水作業をしている写真です。
<脱水処理現場>

<脱水装置>

湖水の汚れが全国ワースト1とか言って騒いだ頃です。
日常生活では目に入らない水面下に、湖水の汚れの一因になっていた、汚れたヘドロがこんなに堆積していたとは、多くの市民は考えても居なかったでしょう。
「こんな汚ねー物・掘り出して、如何するつもりだ」・・・と非難した市民の方も多かったことと思います。
この場所は意外と簡単に見つかりました。
角度は少し違うかも知れませんが、ほぼ同じポイントを確定しました。
ただ、民家が密集してきたためこれ以上引いて撮れなかったということです。
写真1の右端の電柱と、対岸に見える高層マンションと、その右に見えるジャスコ(今はイーオンと言ってるけど僕も妻もジャスコでないと通じない)の屋上看板が決めてでした。
<写真 現在の姿-1>
遊歩道がついてジョギングする人もいて、見違えるような湖畔の公園になりました。
<写真 現在の姿-2>
角度を変えて撮影してみました。
<写真 現在の姿-3>
再度角度を変えてみました。
・・・この下が、《まさかあのヘドロだ》・と解かっている人は、もうすぐいなくなるのでしょう・・・
この公園が、この後17年後あるいはもっと年を経たとき、果たしてどんな姿に成長して
るのか・ということは、僕にはたぶん確認出来ません。
・・・次の時代に《探偵ごっこ》をしてみようと言う人の出現に委ねます・・・
次回「その3」を予定(無断変更あり)しています・・・
2012年02月24日
探偵ごっこ「佐鳴湖今昔その1」
「まるで子供だね」・と言われる行動でしたが、思い立つと停められない性格のようです。
勿論 <おーじ> こと <ひろさん> のことです。
そもそも己の記憶が衰え(おとろえ)ているので黄泉(よみ)の国へ旅立つ前に、息子達に負担を掛けないように身辺整理でもするか・という意味も含めてですが、写真を整理しようと思い立ったのが原因です。
毎秒、毎分、毎時、毎日、毎月、毎年と時々刻々変化している森羅万象には、人間の記憶の曖昧さということなのかも知れないけれどついて行けないのが現実です。
加えて僕の場合、加齢による脳のメモリー状態の劣化が、更にこれを助長して過去を忘れ去る単位を年から秒へと速度を速めています。
取りあえず袋に放り込んであったバラバラの未整理な奴をひきずり出して見ると、佐鳴湖西岸の開発真最中の写真が出て来たのです。
そう、こいつが――「今、どうなっているのかな」――と、消えかかりつつあったローソクの火を復活させて《探偵ごっこ》を始めるきっかけになったのです。
最初がこれです。

この写真の右側の景色が次の写真です

この写真の右側の景色が次の写真です

3枚を合成しなかったのは、画面が小さくなっちゃうかな・と危惧したからです。
この頃――開発工事に特別興味を持っていた――と言うわけでもなかったです。
ただ丁度ペンタックスの一眼レフなるものを手に入れて間もなかった所為で、やたらとそこら中を被写体として写すことにワクワクしていた時代でした。
撮影した日付は1994.10.10です。
今回の《探偵ごっこ》とは、この場所を確定しようと思い立ったことです。
「見つけました」
「たぶんこの辺りだろう」・という感はビンゴでした。
最初の写真で、橋の右端に見える1軒の二階家と、左端に見える家(本当はお寺だけど)が決め手になりました。
こちらが今の景色です。

画面の奥に見えた山々は、建築物に置き換えられて、今は大半が見えなくなりました。
橋の右端に見えていた二階家も、周囲の新しい建物に飲み込まれたように目立たなくなっちゃいました。

階段状の護岸がこの位置を決定付けました。
実生の松が、土手の擁壁を隠す現状を見ると、年月の経過を感じます。

赤白の鉄塔と橋と緑の山が変わらないと言えば変わっていないのでしょうが、赤裸だったところは皆建物が埋め尽くした感じがします。
その時(1994.10.10)17年後を
――こんな風になるだろう――とは全く想像して居ませんでした。
というか、想像する思考が全く働いていなかったと言うべきでしょう・本当に・・・
この《17年余の時空を飛び越える》という離れ業が出来たのは、写真と言う媒体を介した《探偵ごっこ》だったから・・・カナ。
次回「その2」を予定(無断変更あり)しています・・・
勿論 <おーじ> こと <ひろさん> のことです。
そもそも己の記憶が衰え(おとろえ)ているので黄泉(よみ)の国へ旅立つ前に、息子達に負担を掛けないように身辺整理でもするか・という意味も含めてですが、写真を整理しようと思い立ったのが原因です。
毎秒、毎分、毎時、毎日、毎月、毎年と時々刻々変化している森羅万象には、人間の記憶の曖昧さということなのかも知れないけれどついて行けないのが現実です。
加えて僕の場合、加齢による脳のメモリー状態の劣化が、更にこれを助長して過去を忘れ去る単位を年から秒へと速度を速めています。
取りあえず袋に放り込んであったバラバラの未整理な奴をひきずり出して見ると、佐鳴湖西岸の開発真最中の写真が出て来たのです。
そう、こいつが――「今、どうなっているのかな」――と、消えかかりつつあったローソクの火を復活させて《探偵ごっこ》を始めるきっかけになったのです。
最初がこれです。

この写真の右側の景色が次の写真です

この写真の右側の景色が次の写真です

3枚を合成しなかったのは、画面が小さくなっちゃうかな・と危惧したからです。
この頃――開発工事に特別興味を持っていた――と言うわけでもなかったです。
ただ丁度ペンタックスの一眼レフなるものを手に入れて間もなかった所為で、やたらとそこら中を被写体として写すことにワクワクしていた時代でした。
撮影した日付は1994.10.10です。
今回の《探偵ごっこ》とは、この場所を確定しようと思い立ったことです。
「見つけました」
「たぶんこの辺りだろう」・という感はビンゴでした。
最初の写真で、橋の右端に見える1軒の二階家と、左端に見える家(本当はお寺だけど)が決め手になりました。
こちらが今の景色です。
画面の奥に見えた山々は、建築物に置き換えられて、今は大半が見えなくなりました。
橋の右端に見えていた二階家も、周囲の新しい建物に飲み込まれたように目立たなくなっちゃいました。
階段状の護岸がこの位置を決定付けました。
実生の松が、土手の擁壁を隠す現状を見ると、年月の経過を感じます。
赤白の鉄塔と橋と緑の山が変わらないと言えば変わっていないのでしょうが、赤裸だったところは皆建物が埋め尽くした感じがします。
その時(1994.10.10)17年後を
――こんな風になるだろう――とは全く想像して居ませんでした。
というか、想像する思考が全く働いていなかったと言うべきでしょう・本当に・・・
この《17年余の時空を飛び越える》という離れ業が出来たのは、写真と言う媒体を介した《探偵ごっこ》だったから・・・カナ。
次回「その2」を予定(無断変更あり)しています・・・
2012年02月16日
日本の蔵その11 「弥彦村」
ここの《名代家旅館》というところに一泊した事は前回紹介済みです。
実はこのときホテルの周囲をチョット散策したのでしたが、そこで見つけたのがこのお蔵です。
――この蔵の何処に惹かれたのか――と疑問を持たれる方がたぶんいらっしゃる事と思います。
そのとおりです・・・極々平凡な蔵ですから。
でも僕はこの蔵に惹かれたのです。
それは、壁の上部の《置き屋根方式》による《換気システム》とかではなくて、単純に外壁に惹かれたのです。
それも白い漆喰の外壁ではなく、板塀の外壁です。
この板塀が道路側だけ建物と少し離して造ってあるのです。
「何で・・・?」
勿論《類焼予防》でしょう。
壁に取り付けた板塀が∟状(かぎ状)の金物と楔で留めつけられているのは、今までよく見てきましたが、建物から離して独立しているのは誠に珍しい・と思ったのです。
蔵全体が類焼する前に、この板塀を壊すとかする意図は明白です・・・とこれは僕の今までの固定概念でしたが、
ひょっとするとこの板塀の役目は
《通行人による悪戯をされない》
・・・そんな、意味のほうが大きいのかも・・・と思えてきました。
次回は「探偵ごっこ・佐鳴湖今昔」を予定(変更あり)しています・・・

